「若い頃の苦労は買ってでもしろ派」対「頑張ればいいってもんじゃない派」
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。この言葉、本当によく聞くのですが「正しい」のでしょうか。
結論から言えば、この言葉は僕のような凡人にとっては極めて正しい一言だと感じます。
まず「苦労」の定義からしましょう。
苦労:物事がうまくいくように、精神的・肉体的に励むこと。逆境にあって、つらいめにあいながら努力すること。また、あれこれ心を用いること。労苦。
これが正しければ、若い時には苦しみ励むことがかなりの価値を持つようです。
この仮説が正しいとすれば老いた状況で苦しみ励んでも若い時に比べてあまり価値がないということです。
そして、「苦しまずに」励むことはあまり意味がないということでしょうか。
まず、老いた状況で苦しみ励むことが何故価値がないのか。それは励む体力の問題がまず挙げられます。しかし、こちらは元も子もない話になりますし、個人差も激しいでしょうから本質的ではありません。大切なのは累積経験の蓄積の違いが挙げられるでしょう。老いても苦しみ励むことで経験が溜まり、考え方や仕事に大きな影響があるのならば、歳は関係ありません。しかしながら、歳老いてしまえば各々「やり方」を学んでくるものです。成長に貪欲な人間ならばなおさらです。長い間を用いて学んできた「やり方」を簡単には変えられないし、「似たような経験」が多くなってきますから、そこから全く新しいものを得られる感性は歳を取ると失ってしまいがちなのです。
経営学に見られる成長曲線のS字カーブとほとんど同じです。
あくまでこれは人によるとは思います。しかしながら多くの方が当てはまる状況だと思います。
これで「若い頃」の説明がつきました。
では何故「苦労」でなければいけないのでしょうか。同じ経験であれば「楽しいこと」をして能力を伸ばした方がいいのではないかと思ってしまいます。
これについて考えると、「若い頃」というのをどの程度に設定するかによって話が変わってきます。
幼児・小学生の時点であれば大間違い。楽しく好きなことをしたもの勝ちです。まだどの能力もS字カーブでいけば、「伸びきっていない黎明期」にあります。この頃は好きなものを伸ばす時期だと思います。それが一番。
さて、大学・社会人新人の時期。こちらこそ正に買ってでも苦労をすべき時期です。このフェーズになると「好きなもの」「かっこいいと思っているもの」については積極的な努力を行ってきているはず(モチベーションの高い人間であればあるほど)なので、もうそこは伸びません。頭うちです。得意科目なので、成績はいいかもしれませんが、トータルの点数は大して伸びないというのと同じ。好きなものをこのフェーズで伸ばせる人間は少なくとも「社会人」にはならないのです。プロ野球選手、俳優、トレーダー、プログラマー。色々いるでしょうがそれなりの「専門家」「プロフェッショナル」になっているはずなのです。そうでない人間。いわゆる凡人がこれらのプロフェッショナルに肩を並べる方法はたった一つ。苦手科目を鍛えることしかありません。彼らが単一機能を強化し、どちらかといえば「能力や技術を掘り下げる=求道者」なのに対し、凡人は「可能性を広げる=ジェネラリスト」になることが肝要なのです。簡単に言いましたが、実例はいくつもあります。
「案件を断らない人」って聞いたことありませんか。与えられたものを断らず、不断の努力でやり遂げる人。この人は自分の苦手なジャンル、自分が辛いと思うこと程喜んでやり遂げます。いわば完全なMです。僕もそうなのですが。
こういう人間は可能性が広がります。なんせ「食わず嫌い」がないのですから。実はそういう人間は凄く重宝されるのではないでしょうか。大きくてお金ががっつり入ってくる派手な仕事だけでなく地味でお金も儲からないし辛い仕事を出来る人間は絶対に価値があるのです。
その意味で「苦労は買うべき」という主張はとても正しいように感じます。自分の「苦手」を克服する苦労は買うべきです。そして、苦労した結果、やっぱり無理だと思うのは紛れもない「収穫」だと思います。もうそこが伸びないということですから。
派手な仕事が好きな人は意外と詰めが甘い傾向にあったりします。そうすると間違い探しをずーっとするような仕事って凄く辛いんじゃないでしょうか。でもその分、彼の仕事のクオリティは好きなものを追いかけていた時よりも格段に上がっている気がします。
更に苦労に対して少しでもポジティブな気持ちが持てれば儲けものでしょう。
さて、対立概念に「頑張ればいいってもんじゃない」という言葉がある気がします。
ちょうど「頑張ればいいってもんじゃない・向上心があればいいってもんじゃない派」の素晴らしい意見として渡辺さんのエントリがありました。
キャリアチェンジできる人・できない人(またはする人・しない人) | On Off and Beyond
結論から言うと、本当にキャリアチェンジできるのは、具体策がある人。結論が先にあって、そこから逆算して何をすべきかがある人。
「がんばっていればいつかは道が開ける」というフェーズも人間にはもちろんあるのだが、「もはや、今の仕事をどれだけがんばっても何も起こりそうにもない」というところに来た人を想定しています。
キャリアチェンジというのは一つの「苦労」な気がします。この「苦労」はすればいいってもんじゃないし、参入障壁も非常に高い。金銭、語学、現職の人間関係等課題が山積みでこれらを全部解決しなければ「成功するキャリアチェンジ」は出来ません。
してはいけないこと
1)ゴールなき努力を始める
たとえば、留学して心機一転新たなキャリアに進む、ということを考えている人だと、
「まずは英語を勉強してみる」
と言う人は、結局キャリアチェンジせずにおわることが多い。
大体語学の勉強と言うのは心の底から退屈で、しかも大変で、その上、努力しても遅々として成果が出ないもの。
そうではなくて、たとえば
* 自分の望むキャリアチェンジに役立つのはどのような留学先か
* その留学先に行くために必要な英語力は何か(TOEFLの点など)
* それをいつまでに身につけないとならないか
* そのためにはどうすればよいかと言う風に逆算するべき。
人間、ゴールが定まると不思議と馬鹿力が出るもの。だらだらやったら3年かかったことが、3ヶ月でできたりするものです。これぞ生産性!
とりあえず資格の勉強をする、のではなく、何をするかを具体的に定めてから逆算して必要な資格をとりましょうね。無駄が防げます。無駄を防がないと、社会人は忙しいので、「とりあえず勉強」するだけでエネルギーが尽きてしまう可能性が大です。
2)大所高所の話に燃え尽きる
日本経済のあるべき姿を実現するためにすべき貢献、とか、国際人として望ましいキャリア、とかそういう抽象的な話を熱弁する人は、まずは実行に移さないことが多い。もちろん、そういう「社会人としての教養」は持っているべきだと思うが、それはそれ、これはこれ、で自分ができることをきちんと把握するのが大事。
恋愛では、「理想の相手」ばかり空想していてもだめで、手の届く相手と切った張ったの恋愛をしていく中で、自分に合う人というのがわかってくるもの。
キャリアも一緒です。
ヘッドハンターと話す、でも、履歴書を送って面接を受ける、でも何でもいいのでアクションを起こすことで、自分が移れる先はどんなところかが具体的に見えてくる。
これらの話を見て思うことは「何となく」苦労をするのはやめましょうという話です。
苦労した後、得られるものを具体的にすべきです。
苦労が失敗したら何が得られるのか
どのようなつながりが得られるのか
苦労しなかった自分に比べどのように成長出来るのか
苦労が実らなくても、実っても「わかる」「成長する」ことがあるのが大切なのです。経験の浅い若いうちならば必ずそこから将来の価値になることを吸収できるはずです。
逆に無理な苦労を長く続けたり、自分のどこを伸ばすのか明確にしていない苦労なんて本当に意味がありません。
だから実は言ってることは背反していないんじゃと僕は思っています。勿論、言う人によってこれらの言葉の意味は変わってくると思いますが。
おまけ
渡辺さんは僕の中で「やらなきゃわからないんだからやってみたら」という考えの師匠です。彼女のblogや生き方からそれは伝わってきます。だから、変な先入観を持って書かれていることが本当に少ないなぁと感じます。
下のエントリなんか特にそう。
最近の若い者は・・・・ | On Off and Beyond
そして、後になってから考えたのであるが、なぜ私は後輩に会っても「最近の若い者は」と思うどころか「最近の若い人ってマジ優秀」とばかり感じるのであろうか、ということ。「最近の若い者は」というのは、アリストテレスだかプラトーだかの時代の古文書にも書かれているsentimentというではないですか。
なぜ私はそう思わないのか?
うーむ・・・・と考えてはたと膝を打った。
「私が過ごしてきた組織においては、本当に最近の若い人のほうが優秀である」
という説を思いついたから。
この考え方を地で出来る人は凄いと思う。やはり「後輩=自分より劣ったもの」として見てしまうのは仕方がない。だって実際に経験を積んで無い未熟者の方が多いんだから。そんなことないという人もいるかもしれないが、そんな人達がまだ年端もいかない母校の高校生と話すと「今時の高校生は・・・」なんて話を絶対にするものだ。
情報に変な先入観を持たず、ありのままを受け止められる人は凄いなぁと感じますね。僕は全くの逆なので。