足ることを知らず

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不安と解決法・twitterの新しい宣伝法

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これはかなり刺さりましたね。

二つの不安。何をすればいいのか「わからない」漠とした先行き不透明な不安と、それは自分にできるのだろうかという自信のなさからくる不安。

"何をすればいいのか「わからない」漠とした先行き不透明な不安"は、初めての時には感じるもの。仕事や役割を与えられた場合、未経験であるがゆえに、実際よりも過大に考えてしまって動けなくなる。次何やっていいかわかんないから、指示待ちくんになったり、雛鳥と言われたり、逆ギレしたりする。

でもこういう不安はマニュアルを作ったり、段取りを示すことで解消できたりする。OJTが有効に作用するのもこっちのパターン。

成程。でも僕は前者の方が時間がかかる気がしますね。マニュアルや段取りは結局指示待ちに代わりない気がします。実はこちらの方が「何をしたいか本気で考える」という途方もない時間が必要な気がします。下手をすれば人生を変えるような大きな感情の動きがないと、ここまでのモチベーションは生まれないかもしれません。
勿論、この文章で述べられている前者の「何をすればいいのか「わからない」漠とした先行き不透明な不安」というのはかなり短期的なものを指しているのかもしれませんが。それなら、マニュアルやOJTで解決出来るのですが。


刺さったのは次。

ひとつ目はその不安を受け入れるということ。向き合うと言ってもいい。
やっぱり緊張するんですよ。うまくいかなかったらどうしようっていう不安は常にある。でも悩んだらどうにかなるものでもないし、「人事を尽くして天命を待つ」じゃないけど、やるだけやったら腹をくくるしかない。

だから事前の準備として、自分にできることをやり尽くしてたら、この方法がいちばん簡単です。

スラムダンクの例を出していますが、これはノウハウの問題ではない気がします。ご飯とか、生活リズムとかで抑えるのが一番かと。意外とジンクス等の習慣はこの不安を抑えることに効果を発揮しているのかもしれません。



2つ目は考え方のアプローチなんだけど、秋元さん(秋元康)のスタンスを真似ること。
前にも書いたような気がするけど、秋元さんは「作詞できますか」って依頼に、「もちろんできます。むしろ得意です」みたいな感じで答えてたそうなんですね。自分の仕事の幅を広げるために、来る仕事を拒むことなく、どんどん受けていったと。

この気持ちになっている時って凄く成長の準備が出来ている段階だと思います。「何でもやってみよう」というスタンス。勿論、無駄だと感じることがあるのかもしれないけれど、「無駄とわかる」ことは実はとても価値があることなのではないでしょうか。やってみないで「無駄」とするのと、やってみて「無駄」とするのでは、問題を解いてみて解答を見るのと、解かずに解答を見る差があると思います。家庭教師をやっていた人間からすると、差は歴然ですよ。どんどん開いていきます。

3つ目は正しく現状認識するということ。これはほんと簡単。誰かの受け売りとか引用とかじゃなくて、ぼくがやってることだから。
たとえば自動車の運転について、免許を持ってない人とか、ずいぶん乗ってないペーパードライバーは不安を口にするわけですが、一般の道路は事故が起こらないように、(上手い人ではなく)下手くそにあわせて整備されている。道幅とか、コーナーの角度とか。だからよほど裏道にでも入らない限りは、誰でもまっすぐに走れる。たとえ自分の運転技術が平均よりはるかに下であっても、事故ることはほとんどない。

そう、これはただの現状認識です。そしてこれは相対化の話にも通じます。
世の中にはそれを「できてる」人がいて、その人が普通の範囲にいれば、自分にだって十分できる可能性はある。マスターズでアンダーパーで回ることはできなくても、10万球くらい打ったらホールインワンは出せる(いや、適当に言ってますけどね)。

不安を口にする人は、成功の可能性の大きさを見ずに、むしろ小さいはずの失敗の可能性を過大評価しちゃってます。
だから正しく現状認識ができれば、そういうのは払拭することもできるはずです。

現状認識が出来なくなるのは何でかわかりますか。
不安というのは軽いパニック障害を引き起こすからです。
そのパニックが更に不安の根を深くしていくわけですね。
パニック起こしている時には解決は一つ。周りを見ること。落ち着くこと。




twitterが宣伝手法として頭角を現してきました。
It’s Broadway Gone Viral, With ‘Next to Normal’ Via Twitter - The New York Times

さとなおさんのエントリで述べられていたのですがwww.さとなお.com(さなメモ): フロー型への転換点twitterってフローの極みなんですよね。
同じ様に、演劇って小説というストックをフローに変えたものだと思いませんか?
フローした分、視点が少し変わる感じ。台詞だけを受け流すために、砂金ざるのようにほとんどが流れていくのだけど肝要な部分だけ頭に焼きつくように残る。小説は逆に皆平等にストックされる傾向にある気がします。勿論印象に残る部分はあるけどね。映画や演劇ほどじゃない。
そういう流れをしっかり再現したのかなぁと。実際見ていないから何とも言えませんが。
食い合いになるかという声もあったのですが、恐らく魅力を少しattaractするのに十分なコミュニケーションだったようです。


おまけ



チャリiphoneはマジ危険。
事故もそうだが、iphone落としたらシャレにならない。裸で空気にさらしておくのも怖いです。