iphoneに奪われる手帳の役割
かくいう自分もiphone買ったんですが、暇があればいじってます。To doからカレンダー、出納帳、RSSリーダー生活のほとんどのデータがiphoneに入ってます。流出したら、僕の生活から趣味まで全部わかっちゃいますよ。
もう何回も言われていることなので改めて強調することもないと思うけど
・他媒体(PC等)との同期
・多機能(all in the one )
・容量
・情報整理
予定も、コミュニケーションも、娯楽も全部iphoneでカバーしてる。「デジタル・ビーイング」の世界だったら、劣化しやすい、かさばる、紙媒体の手帳なんて正に取って変わられるべき存在。最近は入力すらデジタル媒体の方が速いからね。それでも手帳を手放す気にはなれない。自分の主観で絶対、手放せない理由が一つだけあるのです。
iphoneで人の話のメモは取れない
いや、僕自身が可能か不可能かっていえば、全然可能。Evernoteでちゃっちゃとフリック入力してメモればいいだけ。でもメモを取られる相手にとってどうなの?って話。
「携帯いじる」ってやっぱりイメージ悪い。例えば僕が相手に真面目な話をしている時にiphoneでメモ取られたら、どうかなっていうと、違和感は拭えないと思う。
上下関係に厳しい人なら違和感には留まらず不快感すら感じるかもしれない。そりゃクラウドノートの方がPCと同期出来るし、楽ではある。でもPCにしてもモバイルにしても「メモがブラックボックス(相手から見えない)」っていうのは特にビジネスライクなコミュニケーションにおいて致命的だと思う。
相手ありきの「コミュニケーション」だから、「自分の便利」だけでは片づけられない。そうすると、今まで皆が慣れ親しんできた手帳の需要ってなくならないのかなと思います。
メモの目的は「記録」だけじゃない
人の話を記録する方法は何も「文章化」だけじゃない。動画だったり、音声の記録も出来る。そういう場ではiphoneは大活躍だろうと思う。録音や録画したら、メモいらないんじゃ?っていう人もいるかもしれないけど、メモって記録だけじゃなくて、自分の頭の整理の意味合いも大きい。情報取得だけで終わってしまうところを取得して整理して(手帳上に)表現するんだから。
アナログ→デジタルを後ですればいい
勿論、書いた内容をそのまま放っておいていい時代ではなくなった。頭に入れた、見聞きした知識をデジタル化しないっていうのは「検索」による「探す手間の短縮」と「クラウド化」による「共有の利便性・紛失リスクの軽減」を放棄するようなもので、かなり残念な機会損失になる。だったら、帰って手帳の内容をblogにでも書けばいいじゃないですか。確かに二度手間ではあるけれども、知らない間に「推敲」のプロセスを一つ余分に踏むはずだから、完璧に無駄ってわけじゃない。
紙媒体には偶然の神が住む
あとは、デジタルの情報は「検索」出来る分、偶然が起こりにくい。アナロジーとか思わぬ思いつきとかってPC見ててもなかなか生まれない。情報を能動的に取りに行き過ぎているから。そういう意味でいくと多少ノイズは多いけど、時々爆発的な化学反応(閃き)を生んでくれる紙媒体への記録ってあながち悪くないのかなと思います。
結構感じてるのはデジタルな記録は情報取得と整理を効率化した分、アナログな記録に比べ自身の頭を働かせる機会損失が馬鹿にならない。
いずれ、デジタルで全て記録する日が来るのかもしれないけど、自分の頭をしっかり使うアナログな記録を忘れたくないなー。という話。