足ることを知らず

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英語の参考書をやたら買っていた奴は絶対勉強が出来ない。

手段の目的化とは
何かを成し遂げるために始めたことが、いつの間にか成し遂げる目的にすり替わってしまうことって頻繁にないでしょうか。これってどの世代にもあって、作業や仕事の効率化を妨げているなぁと感じるわけです。

例:受験生の場合
単語帳をやたら買っている子っていましたよね?「どの参考書が良くて、どれが悪い」という情報にやたら詳しい子。あれは「英語の成績をよくする」とか「英語をしゃべれるようになる」といった目的を達成する手段に過ぎない「単語帳を買う」という行為が目的化して、参考書マニアになってしまうのですね。

例:社会人の場合
まぁ同じことは社会人でも良く起こりうることです。例えば、わかりやすいプレゼンを作りたいがあまりに、貴方はプレゼンの参考書を買いました。その中にあるノウハウを使いたくて使いたくて、やたら図を乱発したり、見た目の良いグラフを作りまくったとしましょう。これも「情報をわかりやすく伝える」という目的が「わかりやすく伝える方法を用いる」という手段に捕って喰われた形になっています。やたらかっこいいのだけど、言いたいことがよくわからないプレゼンというのはこの症状にむしばまれていることが多い。


大抵の場合、手段の目的化というのは非効率で成果を妨げる方向に行くことが多いのです。

手段の目的化が効率的に働く場合

僕は「手段が目的化していても構わない場合」というのは以下の三点を満たしている時だけだと考えています。

・本来の目的からぶれていない。

・目的が具体化・数値化される。(マイルストーン化)

・手段を極めることが周りから評価される。

まず、本来の目的達成とそこまで離れていないことが重要です。手段を極めた末には本来の目的もある程度達成されていることが必須。次に目的の具体化という部分ですが、大きな目標というのは「達成したか、していないか」が曖昧なものも結構多い。例えば英語でコミュニケーションを取れるようになりたい。とか。何をもって達成したかわかるようになるというのは一つ目の「ぶれない」という点を満たしていれば間違いなくプラスだと思います。三つ目は手段の達成が周りの評価になり、環境が目的達成を後押ししてくれるようになるということです。

例えば、英語を話せるようになりたい人がTOEICで900点取りたいという目標を掲げ、そこに夢中になっていくのは悪くない手段の目的化だと思います。勿論英語でコミュニケーションを取れることとTOEICでいい点数を取ることは似て非なるものだと思います。ただ、本来の目的からぶれているわけではない。英語のコミュニケーションが上手い人はTOEICも合る程度取れるはずです。そして、目標が具体的になることによって、目標に近づいているのか、遠ざかっているのか「現在位置」が確認できる。更に、TOEIC900点を達成した場合、必然的に英語を仕事で使うことが求められるでしょう。本来の目的達成を周りが後押ししてくれるようになるわけです。



出来るだけ多くのヒトに自分の考えや人生を伝えたいと思った時に「書籍を出版したい」と思うのも悪くない手段の目的化です。多くの人に伝える媒体は書籍だけではありませんが、書籍を出版出来たら、他媒体でもある程度の発信は可能ですから、本来の目的からぶれているわけではありません。目標も「達成したか」「達成できていないか」がはっきりわかる。更に書籍を出したということで、二冊目、三冊目、他媒体での執筆というのが頭に浮かぶわけで。


逆に言えば、上記三点を満たしていない手段の目的化には注意ということ。