足ることを知らず

Data Science, global business, management and MBA

ヲタクキャズムの閾値とは?

ソーシャルゲームに課金する人の気持ち

GREEで新探検ドリランドが大流行らしい。

[CEDEC 2011]稼げるゲームはこう作れ。グリーが明かす「セールスランキングNo.1プロダクトの作り方」 - 4Gamer.net
痛いニュース(ノ∀`) : GREE岸田氏 「ゲームバランスはどうでもいい。課金機会の演出のほうが大事」 - ライブドアブログ

土田氏は,「探検ドリランド」の売上1年分は,数百万本クラスのコンソールゲーム(コンシューマ機用ゲーム)と同じ規模感がある,と指摘。コンシューマゲームにおいて数百万本を売るには世界を相手にしないと達成できないが,「探検ドリランド」は国内の売上で同規模の数字を達成している。これは開発費の高騰や在庫コストといったリスク,対象国のプレイヤーに合わせたローカライズ/カルチャライズといった手間を回避しつつのことである。同じ規模の売上といっても,ソーシャルゲームのほうが明らかに収益性が高いことが分かる。

まず、土田氏が、「コンソールがオワコン化。コンソールのトップクラスの売上規模で、利益率高いソーシャル最高」と述べております。私には受け取れる話をしております。

基本的に無料で遊べるのがグリーのソーシャルゲームだが,岸田氏が指す「収益化モデル」とは,有料アイテムなどにお金を出してもらうためのモデルのこと。キーワードは「納得のいく失敗と劇的な変化をもたらすゲームデザイン」と「自己顕示欲を最大化するソーシャルデザイン」だ。
収益化モデルの構築には,失敗に意味があることをきちんと演出することが重要であり,有料アイテムは見た目に効果が分からないとダメだという。「細かなゲームバランスよりも,課金機会の演出,効果の演出のほうが大事」と岸田氏は指摘する。
 「釣りスタ」では魚を釣り損ねた際に,どんな魚を逃したかを表示し,どうすればいいのかという提案が出る。そのうえでアイテムを購入すると魚が釣れるという劇的な変化を,演出するわけだ。

決してゲームとしての優越が「利益」で決まるわけではないのですが、カネの集まるところにはヒトもモノも集まるわけで。
今後、ソーシャルゲームコンソールを超えるクオリティも実現していくのでは?と思っています。
そうしないと、差別化できない時代もすぐに来るだろうし。


続いて、マーケティング的にどうして「ソーシャルゲームがカネになるのか」を岸田氏が述べてくれています。
無料では頭打ちする「不便、不快感、苦痛」というのがここでいう「失敗」なのだと思います。
とはいえ、少しコミットしてしまっているから、「ゲームをやめる」という選択肢よりも「少しお金を出して失敗を挽回する」という選択肢の方が魅力的に見える。

これって、少しでもゲームにはまっている人でないと理解できない二者択一ですよね。
でも、ヲタクに対するビジネスモデルって、「ヲタク以外には理解できない二項対立」が成立していると思うんです。


あれ?どっかで聞いたことあるなと思ったのですが、そうです。
これ、ある種のフリーミアムです。
結局、フリーミアムモデルでニコニコみたいに稼ぐにはどうしたらいいの? - 足ることを知らず〜Don’t feel satisfied 〜

上のエントリを読んでいただくとわかりますが、無料で楽しめてはいけないのです。正確には無料で「ある程度」楽しめることが大切なのです。

もう少し概念論的にこの話を整理してみましょう。



ヲタクを動かす二つの欲求
ヲタクを動かす二つの心のレバーがあります。恐らく心理学的には何らかの名前がついているのでしょうが、そこが本題ではないので今回は省くことにします。

一つ目は「狭い領域における自己顕示欲」
人は皆「自慢したがり」です。
だから、人よりも上位に行きたがるし、「俺の方が凄い」と言いたがる。
ヲタクも同じ。自己路線を走っているようで、そこらへんのキャバクラに貢いでるおっさんと何ら変わりません。
「俺の方がそに子にカネかけてんだよ!!!」っていうのを自慢する。

これを僕は「どや顔脳」と呼んでいます。

二つ目は「過去行動に対する自己正当化」
突っ込んでしまっている過去のお金に対して、人は何とか「無意味だった」ことを否定しようとします。
株で大損ぶっこいた人の中に「これも勉強(キリッ」って言っている人がいるのと同じ。
パチンコ屋で死にそうな顔をしてATMに走っている人も同じ。
自分のやってきたことを自己否定するには相当冷静な頭が必要なのです。

ゲームに熱くなっている頭や、ヲタク気質に何かにハマっているときなんかは明らかに「論理的な判断能力」を失っていますから、俄然、自己正当化のほうにコミットしていきます。

これを、僕は「倍プッシュ脳」と呼んでいます。

で、これに加えて、ソーシャルゲームでは、コミュニティにおける「共感」だったり、皆で色々成し遂げる「達成感」みたいなのがあったりします。


過去エントリでも述べているので、少し参考にしますと、ヲタクという一種の「趣味的」要素でさえ、自身のコントロールに収まらない金を消費してしまうことがわかります。

日本独自のフリー - 足ることを知らず〜Don’t feel satisfied 〜

そして、ネットゲームではコレクターとしての強迫観念が存在する。「アイテムを集めなければならない」し、「時間をかけなければならない」自分がある程度の地位に行ってしまうと、もう止まらない。フリーに対する有料課金がゲーム内でのヒエラルキーを形成する。

AKBでCD買いまくってた人とか完璧にコレ。


ヲタクキャズムとは?

で、本題のヲタクキャズムに入る前に「キャズム」のおさらい。

ハイテク業界において新製品・新技術を市場に浸透させていく際に見られる、初期市場からメインストリーム市場への移行を阻害する深い溝のこと。マーケティングコンサルタントのジェフリー・A・ムーア(Geoffrey A. Moore)の著書『Crossing the chasm』(1991年)に登場するキーワードで、ハイテク市場におけるマーケティング理論である「キャズム理論」は大いに注目を集めた。

 普及学の基礎理論として知られるエベレット・M・ロジャーズ(Everett M. Rogers)のモデルでは、顧客は「イノベーター」「アーリーアダプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」の5つの採用者タイプに区分される。この理論ではイノベーターとアーリーアダプターを合わせた層に普及した段階(普及率16%超)で、新技術や新流行は急激に拡がっていくとしている。そこで、イノベーターとアーリーアダプターにアピールすることが新製品普及のポイントであるとされてきた。

 これに対してムーアは、利用者の行動様式に変化を強いるハイテク製品においては、5つの採用者区分の間にクラック(断絶)があると主張した。その中でも特にアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間には「深く大きな溝」があるとし、これをキャズムと呼んだ。

テクノロジーの普及や、かなり大上段のセグメンテーション戦略に用いられる概念なのですが、ちょっと曲げた捉え方をします。

ヲタクとして、一人前に金を投資し始めるまでの「有料への溝」がキャズムだと思ってください。
ヲタクじゃない人にとって、この溝は凄くキツいです。というか、イノベーターやアーリアダプター(めちゃくちゃ金かけてるヲタク)二対する憧れやリスペクトは全くありません。

わかりやすいように今回のソーシャルゲームの例を用いましょう。

ちょっとだけ、無料でソーシャルゲームを遊んでみた。
この時点で、アーリーアダプター的なところまで行ってしまいます。
だって、「ニッチだから、知らない人も興味ない人もいっぱいいて、自動的に自分は上位に組み込まれる」からです。
でも、ゲームを始めると自分がゴミのように弱い存在だとわかります。
ちょっと無料でがんばって、時間をかけてちょこまか遊んでみました。

ハイ、あなたは既にアーリーアダプターの中のトップ層です。

課金キャズムはもうそこに見えています。
「あの武器があれば、世界がだいぶ広がる」「あの防具があれば、あの人のクラスまで行ける」
「正直、無料でやっている人に大きく差を付けられる!」

ここで引き返したい人もいるでしょう。
でもね、「倍プッシュ脳」が許してくれません。何のために今まで貴重な時間を費やしてきたのか。
そうすると、あなたの脳は奇妙な計算をし始めます。

「俺がこのゲームに3時間かけたとして、俺の時給が1000円だから…課金した方が効率的じゃね?」

大丈夫。

キャズムを超えたあなたは、時間も金もフル投資し始めますから。

よって、溝を小さく見せる「課金機会の創出」が重要になります。
キャズムを超えた先がとても魅力的でどや顔できちゃう!
②無料では頭打ち感が強くなかなかまどろっこしい
③とはいえ、今まで時間を結構コミットしていて、やめるなら倍プッシュした方がまし。

というように、テクノロジーの普及と似ていて、ソーシャルゲームやヲタクといった市場ではいかに課金キャズム=「有料の溝」を超えさせるか自分たちの価値観に顧客の意識を引っぱりこむかが勝負になっていると思います。

この溝に面する閾値をうまく見定めて、
閾値に人を送り込む
閾値の人にキャズムを超えさせる
のが、ソーシャルゲーム業界はとてもうまいなと思っています。








※おまけ
下記の垂直統合型の人材が取れている、育っていること自体、実は凄いこと。
未だに分業制で採用を行っている日本のゲームメーカーは色々考え直した方が良いかも。

岸田氏の分類による水平分業型とは,個人が専門職化していくもので,プロデューサーはプロデュース業,プログラマーはプログラミングに専念し,それぞれの専門技能を高めていく。
 一方グリーでは少人数のエンジニアとディレクターが企画,リサーチ,開発などすべての分野をカバーし,流動的なソーシャルゲーム市場に対応できるスピードを維持しており,これを垂直統合型と呼んでいる。