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クリエイターのマネタイズモデル変遷とロングテール化

www.economist.com

 

エコノミストに「クリエイター経済の新しいルール」という記事が載った。これ、個人的にはとてもキャッチーだなと思ったので、少し考察を加えてみたい。

 

まず、前出の記事の骨子は下記の通りだ。

・クリエイターにほとんどお金を還元しない旧来的「広告プラットフォーム」(FacebookTwitter)は、昨今新しいサービスにどんどん人を奪われており、FacebookTwitterもついにクリエイターへとお金を還元する仕組みを導入している。

Subscriptionや投げ銭によって、広告時代の"Winner Takes All"のセオリーが崩れつつある。末端の視聴者や視聴回数を稼げないクリエイターでも、投げ銭してもらうことで、食っていけるだけの金額を集められる。

・この流れを受けて、大量消費されるコンテンツを無尽蔵に生み出すモデルではなく、本当にコアな1000人のファンを作ったクリエイターが細々食べていけるような経済圏ができるのではないかとThe Economistは予想している。

・加えて、Platformに求められるケイパとして、よりリッチなコンテンツを低労力で作れるTiktokのような制作補助機能、そして違法/有害なコンテンツに対するガバナンス機能、アドバイザリー機能が重要になってくるだろうと結論付けている。

YouTubeFacebookなどに対する新興勢力として紹介されていたのが、OnlyFans、Substack、Roblox、Twitch、Cameo、Clubhouse。

 

広告モデルの限界

まず、個人データ利用の制限がきつくなるにつれて、Consent(同意)を、課金と同時に直接ユーザーから取れるサブスクリプションの優位性が強くなった。

それに加えて、クリエイターのマネタイズの観点からも、広告モデルからサブスクリプションや直接課金(投げ銭)のニーズが増えている。

 

広告モデルは、その金主である広告主のニーズから、ある一定の消化/露出を稼げるトップクリエイターにしか利益配分が行われないようになっている。クリエイター目線でいけば、ある一定の「人気の壁」を突破するために、他に見たことのない過激なことをして、他人と差別化をしていく。これは、「元気が出るテレビ」などで、テレビ業界でも起こったことかもしれない。YouTubeを見ていればわかる通り、そこには厳しいレギュレーションが必要になるし、そのうえで、ごく少数の人間だけが利益を享受できる世界になっている。(若しくは初期のFacebookTwitterのように、メガアカウントに対しても利益還元は行わず、ただただプラットフォームの丸儲けというパターンもある)

 

広告モデルは、コンテンツ享受者の生活者が買った商品の収益から、広告主企業が広告費を計上し、それがコンテンツ生成者のクリエイターに戻っていく、お金としては少々回りくどいモデルだ。この複雑なモデルが、各々の代理人/エージェントが活躍する介在余地を作ったし、インターネットが生まれてからは、プラットフォームがその仲介を行うことで、その経済圏で生きるクリエイター/メディア/広告主の数を爆発的に増やすことができた。

しかしながら、それでも利益はトップ層に集中し、ロングテールの層は食うに困らない収益を上げることはできない。加えて、スポンサーというステークホルダーの存在は、クリエイターの創作に制限を加えることにもなる。ここに、広告モデルの限界がある。広告の本懐はあくまで「広く告げる」ことであり、そのメッセージをより多くの人に効率的に、且つコントロールされた状態で届けたいという「払い主」のニーズがあり、それは必ずしもクリエイターの希望と一致しないのだ。

 

下記は、どれだけネット上のコンテンツや収益がトップ層に偏っているかを表した図。

 

日本のプラットフォームの変遷

こと、日本に関してはαブロガーやニコニコの生主など、比較的クリエイターが活躍し、マネタイズができるプラットフォームは多かった。一方でその利益配分は、ブラックボックスだったし、そのころでは、テレビ・マスメディアの牙城を崩せるような収益を生むクリエイターはほとんど現れなかった。この潮目を変えたのがYouTubeだったように思う。

直近のYouTubeでは、テレビタレントよりも高収入のタレントが出てきたことによって、タレント/クリエイターがYouTubeを活動の主体にするようになった。加えて、事務所やテレビ局などの中間業者を抜いて個人で全てマネジメントを行う事例が出てきたことで、タレントはより自分の表現したいことを表現するようになった。以前は、有名になる=テレビの露出だったのが、必ずしもテレビでの露出ではなくなった。自らブランドを考え、自己実現をするタレントが山ほど出てきたのである。

 

クリエイターの変遷を芸人から読み解く

例えばオリエンタルラジオの中田さんが、芸人のYouTuberの中ではトップに来ているが、テレビの時代、「インテリ芸人」というのは常にひな壇=サブキャラだった。インテリ芸人は、日本のトップ大学を卒業したいわば「エリート層」であり、本質的に人気を取りにくい。さらに言えば、エリート層でありながら、馬鹿なことをする芸人というのは、どうしても「馬鹿なことをする芸人」の中でトップにはなりきれないのである。

テレビ時代のトップランナー(BIG3、ダウンタウンウンナンとんねるず)に、大卒はほとんどいない。しかし、Youtubeの時代になると、潮目が変わる。100万再生がビッグヒットと呼ばれる時代、それは視聴率でいけば1%くらいを取ればいいという感覚なのだ。そのコアなファンたちに受けるコンテンツを提供できれば、YouTubeでは勝ち馬に乗れるのである。

 

プラットフォームはより細分化の道を行く

更に、Pocochaのようなオタサーの姫課金プラットフォームのようなものまで出てきた。正直、僕は見るに堪えないものが多いと思うが、そこそこの収益になるらしい。このコロナ禍では、キャバクラや地下アイドルの代替には十分になるだろうし、なによりマネタイズがしやすい経済圏を作ったということに価値がある。

 

お金の循環方法が変わる

広告は大量消費大量生産時代のお金とコンテンツの循環システムだった。しかし、それがより直接的でシンプルなモデルへと変換されようとしている。勿論、一部のスーパースターは残るのかもしれないが、「古き良き、プラットフォーマーを含む中間業者が潤う時代」は終わり、「有名人の知名度」は再定義され、「クリエイターが作りたいものを作ってお金を儲ける世界」が来るのかもしれない。

 

とはいえ、今のポコチャを見ているとそれは程遠い気もするのだが・・・。