足ることを知らず

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ディズニーのやっていることはコンテンツ界のお手本であり外道である

ここ数ヶ月で、ディズニーのライオンキングのCG版とアベンジャーズ・エンドウォーを観た。どちらも素晴らしい出来だったと思うが、思ったことはタイトルの通りである。

 

複製可能、カイゼン可能なコンテンツという考え方

まず、ピクサーの本を読んでもらったらわかるが、欧米のアニメやコンテンツというのは、あるindividualがいなくなったら、即回らなくなるようには作られていない。ジブリの映画がきっと宮崎駿で終わってしまうようなことにはならないように制作過程がデザインされ、その投資も行われている、もちろん、コンテンツを作る以上、誰かの突飛なアイディアは必要だし、そのスタープレーヤーがいなくなる損失は計り知れないが、ゼロにはならない。それはこれからのAppleが、スティーブ・ジョブズ、ジョナサン・アイブがいない今後のiPhoneで証明してくれるだろう。

とにかく、トイ・ストーリーも、マーベルシネマティックユニバースも、実写版ディズニー作品も、replicatableでscalableでありながら、安っぽく感じさせないという点において、日本の映画を遥かに凌駕する。日本の映画はどうしても、アニメ原作では安っぽくなりがちで、原作を超えられないことが本当に多い。もちろんこれは予算の問題が大きくて、アメコミというヲタク文化にあれだけの巨額を打ち込めたディズニーはやっぱりすごいし、あのスキーム(単体作品と全員集合作品でのブランディングはえげつないと思う。

 

ライオンキング実写版を観て

思ったことは、ライオンキングという作品は本当に偉大だったと確信した。実は実写版ディズニー作品は他にもダンボや、アラジンなどが出ているが、その2作品と共通して、偉大さを痛感したのは、ストーリーラインのシンプルさと音楽であろう。手塚治虫ジャングル大帝のパクリではないかという意見もあるが、はっきり言ってライオンキングのストーリーラインは極めて単純明快で、別段パクったパクられたで揉めるほどではない。あの単純なストーリーを感動するセリフのプロットと音楽で彩ったことがあの作品の素晴らしいことだと思う。

だからこそ、ああいう作品は、ミュージカルや実写・CG作品にしても色褪せない。なぜなら映画のコアコンピタンスを落としていないからだ。一方で、実写・CGがどうしてもオリジナルに勝てないなと思うところもある。別物としては成立出来ないのだ。ミュージカルなら、ライブ感という一点で逆転も可能だろうが、それも難しい。

ライオンキングの実写版は個人的には、ナショナルジオグラフィックと原作の間の子という感じがして、正直原作をもう一度観たいな、という以上の感情が湧いてこなかった。おそらく、Frozen(邦題:アナと雪の女王)も同じ道をたどると思う。

 

エンドウォーはどうだったか

Marvel Cinematic Universe Movies at the Box Office - Box Office Mojo

ブラックパンサーは観ていないのでコメント出来ないが、シングル作品でちょこちょこ儲けながら、アベンジャーズでロイヤリティと認知を両方高めていく戦略は今の所完璧に機能していると言える。

しかしながら、英国映画のラブ・アクチュアリーが非難されたように、もはや十数キャラにも達したアベンジャーズのすべてのキャラクターを立たせながら、ストーリラインを一作で構築することの限界に達した映画とも言えると思う。僕は少なくとも、最後の戦闘シーン、面白かった反面、一体誰が何と戦っているのか追いつけなかった。ドラゴンボールでいうと、天下一武道会なしで全員突然セルゲームな展開である。

 

そして、マーケティングの力が作品そのものよりもモノを言う時代になったかもしれない。それぐらい、映画作品自体の差別化が難しくなっていて、話題性を大きくすることが重要になっている。弊社の大先輩が数字の大好きな僕にひとつ語ってくれたことがある。「映画の売上は初秋の週末売上のだいたい三倍に落ち着く」結構な数の映画で、その法則は当てはまっており、いくつか僕も検証したが、クソハズレ映画でも、大当たりでもプラマイ10%に落ち着くものがほとんどだ。かなりの例外は『ボヘミアンラプソディ』。

しかしながら、下記でマーベルやディズニー作品に注目して観てほしい。そう、初週で40%近くを稼ぐのである。

All Time Worldwide Box Office Grosses

All Time Worldwide Opening Records at the Box Office

これは、マーケティング、キャスティング、ディレクティングの方法論をすでに標準化させた結果なのではないかと個人的には考えている。

 

そうなると、今までは丁半博打に近かったコンテンツ投資というものが、ある意味標準化されて、とても投資しやすくなる一方、なんの驚きもない、線形的成長を遂げるものしか供給されない寂しさが今のコンテンツ業界にはあると思っている。