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結局ニコニコ大会議とはなんだったのか

ニコニコ大会議に行ってきた
先日、ニコニコ大会議に行ってきました。2月19日金曜のJCBホールです。
ニコ動の存在は知っているものの、無料会員ですらない彼女を連れていきました。そんな「ヘビーユーザー」どころか、「ライトユーザー」ですらない彼女がどの程度、このイベントを楽しめるのか、それが知りたくて今回のイベントに参加しました。
結果からいえば、僕がこの世で最も尊敬するタラコ唇のイケメンと夏野さんに彼女は極めて好感を持てたようで、そのあとの生うたオーディションも面白いと言っていました。リアルイベントとしての完成度はかなり高かったと思います。PRIDEの方々が関わっていたというのも頷けます。

以下全て、僕の解釈なので、勘違いだらけだと思います。

ニコニコ大会議に対する疑問
このニコニコ大会議、僕がニワンゴ(ドワンゴ)に対して最も違和感を感じていた企画でした。何故、ニコニコ動画がリアルイベントをやる必要があるのか。しかも予算をかなり計上しているはず。

会議における夏野さんの言葉。
Gyaoは黒字になりましたが、ニコニコはいつ黒字化するのですか?」という質問に対して、
「この大会議さえ、やらなければ黒字という段階まで来た。」

この言葉を聞いて、ますます、「なんでやるんだろう」という疑問が湧いてきたのです。司会進行の二人もしきりに「やらなきゃ黒字じゃないですか」と言っていたし。正直、kawangoさんのtweethttp://twitter.com/kawango/status/9296008610を見ても、全然わからなかった。

前々から感じていたのはニコニコは非常にインフラ的要素を持ったサービスだということでした。

何かを創って、それを流行らせるというよりは、場を提供して、その中で流行ったものを更にプッシュする。例えば、電化製品を創って売るのではなく、電力や電線といった「電化製品を使える環境」を供給することが仕事。更に、数ある電化製品の中で流行った電化製品に特化して、改めてサービスを改良していくようなイメージだったのです。

だからこそ、この「大会議」は疑問だった。何故なら、物凄く作為的な匂いがしたからです。「リアルイベントでニコニコを流行らせよう」的な。これをメインに据えていると思ってしまった瞬間、ニコニコ大会議なんて「意味のない=効果が薄い」ものをなんでやるんだろうという考えにたどり着くのです。これは販促イベントの類ではなかった。一番多い誤解が「大会議」を単なる販促イベントだと思うことでしょう。

ニコニコ大会議を単なる販促イベントと捉える誤解
恐らく、ニコニコ大会議の意味を履き違えている人間にとって一番多いのは、ニコニコ大会議を単なる販促イベントと捉えている状況です。

確かに販促の効果もあるかもしれない。でも、本質はもっと他のことにあるのです。

ニコニコ大会議は大宣言でもある

http://d.hatena.ne.jp/k-z-h/20100221/p1

それで思い出したことがひとつあって、去年だか一昨年だか忘れたけど、たまたま知り合ったやつの話。

そいつはオリジナルのマンガを書いて、softalkで読み上げをつけて動画にして、ニコニコ動画で公開してる。

そいつのあげる動画が結構人気があって、マイリストが何万とかいってて、すげーじゃんつったら、そいつは、

「いや、再生数とかマイリスト数とかさ、その先には人がいるから、数字だけ見たり、それを目標にしてもダメなんだよ」

なんて言ってた。

僕はそれを聞いて、はっきり言って、こいつは何をわかりきったことを言ってるんだ、って思った。

数字や文字の向こうには、自分たちと同じ人間がいる。それはインターネットって世界では前提だし、当たり前のことだと思ってた。

でも実際は何もわかってなかった。わかっていたつもりでいただけだった。

僕にとってそれはただの数字や文字で、その先に人がいるということを、本当に理解はしていなかった。

マイリストが1000なら、1000人がその動画を気に入って、登録してくれたってことだし、ニコニコ動画のアカウント1000万なら、重複があるにしても、1000万回、それだけの回数を人間がアカウントを登録したということなんだ。

そういうことを、改めて認識した。

言葉にすれば、結局のところ同じ。

「文字や数字の先には人がいる」

でも僕の中では、この言葉の意味は、昨日と今日では全く別のものになった。


大会議とは、『ニコニコの本質はコンテンツを作ったり楽しんだりする「人」にある』という宣言ではないでしょうか。




動画サイトではなく、コミュニケーションフィールドとしての宣言
そして、先に人がいるのは「文字や数字だけ」ではなかった。ニコニコでは「コンテンツの先には人がいる」のです。彼らこそが、今回のイベントで改めて光を当てられた人たちなのです。kawangoさんの言葉http://twitter.com/kawango/status/9429925998を借りれば、「兵站補給を確保してあげるのが運営の役目」だと仰っていましたが、そもそも「兵站補給を確保する」ことが他動画サイトやコンテンツサイトに対する大きな差別化ではないでしょうか。そんな動画サイト他にありませんから。
http://blog.nicovideo.jp/niconews/2010/02/006654.html

目先の利益ではなく、ニコニコという場を「人を中心に育てる」という戦略をニコニコ大会議で感じたのです。

それはニコニコアプリだったり、ニコミュだったり、ワークショップだったりするのでしょう。
※個人的にワークショップは生放送だけじゃなく、普通の「残る動画」としても配信してほしいと思います。貴重な講義がタイムシフト含め、2回しか見れないというのは結構な機会損失だと思うので。



ツアーである必要性
夏野さんは、ニコニコアプリの発表の後、「反応が悪いな」と会場の反応をしきりに気にしておられました。全国を回った経験があってこそ、「他会場に比べ、反応が悪い」と言えるのだと思います。勿論、ネット上で集計を取った方が、大多数の意見が取れるでしょう。しかしながら、生歌オーディションでのネットと会場の投票に大きな開きがあったのと同じように、リアルとネットには確かな剥離があると思います。

ニコニコ動画が未来をつくる」

上の著書には、吉本の大崎さんの経験をもとに「場によって空気を客席と共有できるか異なる」と述べてあります。大崎さんは、舞台でコントをやっている際に常に観客の顔を見るそうです。いったい何を面白がっているのか、どの部分が面白いのか。テレビ的に言うと、コメント=お茶の間、観客=客席です。これが果たしてどう異なる反応を示すのか。

この意味で、大会議はいろんな実験・観察の意味を持っていたのです。だからこそ、何回もやる必要があったのかなと。そして、リアルイベントとしての完成度を高めるために、PRIDEスタッフの方々の力も大いに役立ったのではないかと思います。

例えば、僕が直感的に思ったのは、やはりリアルの反応とコメントの反応は感情をテキストに落とす分、コメントの反応がワンテンポ遅れます。もしかすると、音声認識だったり、よく使うコメントは登録してワンタッチでコメント出来る機能なんかが面白いなと思いました。


まとめ
「SocialとはUncontrolableである」ということを踏まえ、その環境の中で頭ひとつ抜けたものを生かしていくモデルというのは、結構凄いことなのです。沢山のコンテンツを集めることだけならYoutubeに勝てないでしょう。多くの人に広まるコンテンツを創ることに関してはテレビに勝てないかもしれません。しかしながら、ニコニコは無機質なコンテンツやユーザー数を人の顔と結び付ける道を選んだのです。

再生数や、コンテンツの先にある「人」にフォーカスしたという点で、このニコニコ大会議は「動画サイト」と明確な差別化を行いました。もう、競合とひとくくりに比べられなくなった。それが効果があるかどうかは別にして、ニコニコはもう全く異なる道を歩き出したといえるでしょう。