足ることを知らず

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ニコニコが「やってみる」ノリじゃなくなってる件

大変今更感のあるタイトルで申し訳ないのですが・・・。

最近、ニコニコの歌い手は本当に歌うまくなったなぁとか、
踊ってみたもレベル高いなぁなんて思って、ニコニコしてたのです。

で、ゲーム実況の人気動画をふわっと見ていたのですが、なんか凄い見やすいし、グダグダしないし、
この人達、TVの制作やってるヒトなんじゃないかとか思うレベルの演出が入ったりします。

そんな時、ふと思ったのですね。

もしも、自分が動画をアップロードしてみたいな、と思った時、こんなレベルの動画が山ほどあったら、
参入障壁が高すぎて、全然気軽にアップロード出来ないなぁと。
結構時間とって努力しないと、とてもじゃないけどニコニコの皆様には見るに耐えないわと。

新規参入者だけじゃなくて、今までも動画をアップロードしていたヒトにとっても、どんどんやりにくくなってる気がします。
全然再生数やコメント数がついていないのに、すんごくクオリティ高いものも多いです。
そういうものには「もっと評価されるべき」フラグが立っているんですが、
うまくヒトを集められているかは?です。

参入障壁が高くなるだけではなくて、再生数やマイリストの一極集中が起こっている気がするのですね。


動画の人気メカニズム
動画の人気を決めるものは、動画自体のクオリティ(品質)とブランドだと思っています。
そう、純粋に動画のクオリティだけではなくて、アップロード主やコンテンツによるブランドが影響し始めているというのが大きいのですね。

2008〜2011年ごろのニコニコはブランド力のあるコンテンツは少ないので、基本的にクオリティが短期のブランドを育て、
局所的な人気動画が次々生まれる新陳代謝の良いプラットフォームだったと思います。

クオリティの自然競争を進めた結果、淘汰が進み、人気のアップロード主が出てくるようになりました。
面白い動画をあげるヒトは、次も面白い動画をあげる確率が高く、期待値を積み上げていくのですね。
動画数は指数関数的に伸びるのに、我々視聴者は24時間しか持っていないわけで、
数多ある動画の中で、出来るだけ期待値の高い「当たり」を探そうというのは必然の論理なのです。

だからこそ、これまでの実績や期待値というのが、ブランド化し、視聴者を集め始めるわけです。
そのを実績を超えてでも、新規参入者が視聴数を集めるには、それ以上のクオリティの高さが必要になる。
まず、求められるクオリティが高くなっているわけです。

更に人気のアップロード主は場数を踏んでいる&PDCAが回せるのです。
放送して、沢山の人が見て、意見をもらう度に放送や技量というのは磨かれていくものです。
それを続けるうちに生半可な努力では逆転出来ないレベルに仕上がってしまう。

即ち、ブランドの高さがクオリティ自体をも高めていく構造なのです。
そのクオリティが、またブランドを高めるというサイクルになるので、
しばらく時間が経つとと他の人が追い付けないクオリティとブランドを持ってしまう。

もはや「やってみよう」と思えない障壁の高さになってしまいます。

で、一つ懸念すべきは、コンテンツの淘汰がなくなってしまうことです。
面白いやつはどんどん面白くなるが、新しい風は吹かなくなる。
即ち、固定化されたコンテンツが置いてある、新陳代謝のない場所になっていってしまうのですね。


今や、ニコニコは新しい天才、そう突然あらわれるヒトを期待する市場になっています。
特に人気のあるカテゴリ、「歌ってみた」なんかは、もはやプロのオーディションと同等、むしろ難易度高いのではないか。と思ったりします。

更にニコニコ超会議はそれに拍車をかけると思うのですね。
各カテゴリの「顔」みたいなものを作ってしまった分、そこに人気が集中していくわけです。

そう考えると、ニコニコは今後プラットフォーマーではなくて、
巨大な芸能事務所、コンテンツ管理会社(角川ともくっつくし)になっていくのかなぁ、なんて考えたりします。
コンテンツマネジメントをいかにうまく回していくのかが課題ですね。

という、妄想記事でしたw
全然的外れかもしれないですが・・・。