以下の二つのエントリを読んで、感じたことを。
http://blog.livedoor.jp/ikiradio/archives/51416731.html
死ぬ気で働くと本当に死ぬから - SKiCCO REPORT
上のえがちゃんのエントリ(1回だけ会ったことがある)は、彼自身、凄く頑張っている方なので、前半で述べられている愚痴を聞いて「お前ら何ヌルいこと言ってるんだ、シャキっとしろよ」ということなのだろう。
ただ、その後の展開は僕もよく理解できない。
題名にもある通り、「飲みニケーション」とかも大事なんだけど本当に大事なのは、
兎にも角にも、”本業”の仕事だけを死ぬほどやりまくること
超極端だけど、おいらはこれに限ると思います。
しかも、効率よく本業の仕事だけに専念して頑張る。
よく、「将来起業する予定なんだよねー。」とか言ってる人っていますが、
その大半が本業の会社の目標数値を達成してない人が多いと思います。それは本業の会社でうまくいっていないから、
違うところに評価軸をすり替えようとしているだけでそれじゃ”心が満たされない”んですよ!もちろん、本業以外のスキルをシコシコと積むことも大事なんですが、
おいらは本業の会社の仕事に専念して社会人としての”自信”を積む事のほうが100倍大事だと思います。たとえるならば、会社の本業以外で頑張る人は
皆が受験勉強してるときに、1人でドラクエの全クリを自慢してるようなもの。人は、いつも一緒にいる身近な人の評価で
”自信”を蓄えていくんだと思います。だから、
平日の朝から夜まで一緒に会社の中で頑張って評価される
このプロセスが死ぬほど大事だと思います。
なんか経理の勉強とか中小企業診断士の勉強をするよりも、
1年目はこの”自分は会社でも頑張れるんだ!”という自信をつけるほうがいいなと思います。もちろん、仕事に慣れてきたら +α として
色々やるのはいいですが、基本1年目で仕事が完璧だー!という人は0%だと思います。もし、そうだったとしたら作業内容が簡単なだけだと思います。
よく聞く話として、
「仕事に集中したいのに人間関係でうまくいかない、、、」
これ自体がもう間違っている。
もはや人間関係を作るのが最大の仕事なんです。
というのが、どうしても腑に落ちない。本業以外のことを求められてもこなさなければならないというのが、人間関係じゃなかろうか。
結局、「つべこべ言わず、全部やれ」というようにしか聞こえない。これが後者のエントリで述べられている「老害感」を物凄く出してしまっている。本旨は勿論違うのだろうけど、ずーっと読んでいくと「ん?」と思うところがあるわけです。
以下持論。
労働時間の長さは過程を客観的に見たものに過ぎない。
多分「朝から晩まで」というフレーズが宜しくなかった。そもそも、労働時間の長さには価値なんぞこれっぽちもない。敢えて言えば、残業代美味しいですねというくらい。即ち、「死ぬ気で働くこと」に価値など全くない。
労働の客観的評価は成果でされるべきである。
労働は成果につながらなければならない。死ぬ気で働こうが、遊び半分で働こうが、成果で評価されるべきだ。仕事の成果は様々な指標で測られるだろう。お金然り、人脈然り、案件数然り。ただ、これを「死ぬ気で働いたかどうか」「どれだけ長い時間働いたか」で測る会社があるのなら、即刻潰れるべきだ。そんなものに価値はない。
労働を評価出来るのは自分だけ
労働は過程であり、結果ではない。労働を客観的に評価しても、結果である成果に負けてしまう。過程を評価出来るのは、過程を全て経験した自分だけなのだ。労働そのものは自分で評価するしかないのである。これは、主観的評価なので人それぞれだと思うが、僕は結局、楽しさに尽きると思う。楽しすぎて仕事に没頭してしまった結果、労働時間が長くなってしまったというのは評価出来る。
逆に、我慢で薄められた労働時間の長さを自分の頑張りの指標としてしまうのは本当に残念と言わざるをえない。給与という金銭評価が時間に伴って、算出されるし、時間という数値は客観的評価につながりやすいから、他人にも自慢しやすいだろう。でもあなたが自慢すべきは過程でなく、成果であるべきだ。それをはき違えてはいけないと思う。