足ることを知らず

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直観で今回の総裁選結果に仮説を立ててみる

物凄くシンプルに考えてみた。


今回民主が300以上の議席を取って、自民が100あまりという結果に終わったわけで、この選挙結果はこれまでの選挙に比べ極めて異質なものだと感じられた。

そこで、何故このような結果になったのか考えてみようと思う。

ただし、この仮説は特定政党を応援するようなものではないし、僕自身、応援している政党など存在しない。人並に学習した自信はあるが、これだけ考えた一票と表面的な情報のみで判断された一票が同じ一票という現状のシステムには極めて疑問を感じるので(一票の量と質というやつ。選挙区による一票の価値の差とは別の話)今回選挙には行っていない。

意志を残していない分、今回の選挙結果に文句を言うつもりは皆無だし、「民意」が反映されたと思う。


さてさて、前置きが長くなってしまったが、総裁選のような「意思決定」が国民に与えられるような場合、シンプルに考えは二つだ。

「変える」か「変えないか」。

特に今回の選挙は民主党がうまくこの意志決定のプロセスを捉えて「政権交代=変化」のイメージを植え付けていたと思う。

大きく分けて「変える」「変えない」の意思決定については以下の様な母集団が存在していると考えられる。

1:現状に大きな不満を持っている。「変化」という言葉に対してポジティブな人。
2:現状に対して課題はあるものの、「現状維持」で問題はない。「変化」に対してネガティブな感情を持つ人。


このような場合、物凄く単純に考えれば1の考えを持つ集団は今の政権与党に入れる可能性は低いだろう。これまでの政治に反発心を持っているわけだから。

選挙の勝ち負けは母集団の数として1が多いか、2が多いかで基本的に決まるはず。

自民党の議員が「自民という政党の賞味期限が切れた」と仰っていたが、そうではない。1の人間のパイが2に比べ圧倒的に多く、そして自民党が今回1の考えを持つ人に対して明確な訴求点をアピール出来なかっただけだ。

前回の総裁選は小泉という政治家が非常に上手く1の人間をひきこんだ。

郵政民営化」という「変化」に賛成かどうか

というシンプルな論点だけで意志決定を行わせた。

何故この時2の人間が完全に離れなかったかといえば、2の人間というのはリテラシーの高い人間が集まっている傾向が高い。まぁ悪く言えば既得権益で守られたボンボンが多いので、よくお勉強している人は2に集まりやすいということです。だからこそ、あのような単純な論点のすり替えだけでは動かなかった。結果として自民党から「動かない」決断を維持させたわけです。

以上の点から、2の母集団を大きく失うことなく1の母集団を引き込めた前回の選挙は小泉の貢献であり、自民党の限界だったのかもしれない。所詮論点のすり替えでしかないからだ。

総裁選は国民による総合的な意思決定のはずだ。郵政民営化に賛成・反対なんていうことが本質ではないコトくらい少し考えればわかる。

話はそれたが、バブルがはじけて以来、「このままではヤバい」「何か変えなきゃ」と思っている国民は非常に多かった。1の考え方の人間はどんどん増えていった。それに加え、金融危機等の神風も吹いた。

そういえば、前回自民党新進党に負けたのもバブルという神風で1の母集団が圧倒的に増えたことが原因としてあると思う。


ということで、結論からいうと実は選挙はこれくらいシンプルに結果が決まるものなのだということ。そして政治はこのシンプルな手段に比べ圧倒的に複雑だということ。だから、それを「ごまかす」か、上の様なルールで決めるしかない。

本来、こんな浅はかな意思決定で投票すべきではないという人が多いのだろうが、それが現実だ。様々な個人的問題を抱える中、政治の問題に大きく関心を寄せる人ばかりではない。選挙には選挙のパラダイムがあり、そのパラダイムを理解せずに「もっと勉強すべきだ」「日本は愚民ばかり」といったところで、何も変わらない。愚民の支持すら得られない。

私見を述べれば、もう選挙なんていらないと思う。一億人の民意なんて反映出来ないよ。今、政治はスピードを求められている。それくらい、経済、環境その他「流れ」が速い。

システムの問題だと思うのです。政党の問題ではないと思うのです。

と、ドラッカー先生の言葉を借りて、愚見を締めさせて頂きます。