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「友情・努力・勝利のパラダイム」から変わるジャンプのトップ作品たち

ジャンプの伝統「友情・努力・勝利」

 都市伝説的なところもあるのだが、「友情・努力・勝利」はジャンプ売れ筋の法則として鉄板だった。北斗の拳ドラゴンボール幽遊白書るろうに剣心などが世代だった自分にとっては、このフレームワークがばっちりはまるなぁと思っていた。

友情・努力・勝利 - Wikipedia

 

ジャンプのこの「売れる」フレームワークが開発されたのは1960年代で、そもそもその起源は週刊少年ジャンプの前にさかのぼる。

 

週刊少年ジャンプ』(WJ)は、全ての掲載作品にこの要素3つのうち「最低1つ」入れることを編集方針としているとよく言われる。

この原則は、同誌の前身ともいえる『少年ブック』から受け継いだものであり、元は小学校4年生・5年生を対象にしたアンケート(「一番心あたたまる言葉」「一番大切に思う言葉」「一番嬉しい言葉」)によって決められたものである。

 

 

これに血筋の良さを入れる説もある。

3要素に加えて、血筋の良さも指摘されており、人気作では『ドラゴンボール』の孫悟空(戦闘民族サイヤ人の家系)、『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ(革命家総司令官ドラゴンの息子)、『HUNTER×HUNTER』のゴン=フリークス(屈指の念能力者ジンの息子)、『NARUTO -ナルト-』のうずまきナルト四代目火影波風ミナトの息子)などが挙げられる。それに対して、「努力もあるが親の遺伝子が有能」「恵まれた家系」「現実はそういうものだ」とする見方もある

 

名編集者だった鳥嶋さんはこの三原則には否定的なようだが、ドラゴンボールはこの三原則の一番典型的なものではないだろうか。

この傾向は最近に始まった話でもなく、ジャンプ黄金期を現出した編集者のひとり鳥嶋和彦(元WJ編集長)は「友情」「勝利」を「子供にとって正しい」としつつも、「努力」については「子供は好きじゃない、むしろ大嫌い」「全く無意味ですね。あんなのはバカが言うこと」と言下に否定している。ただし鳥嶋の担当した『ドラゴンボール』などの作品でも、主人公が強くなるプロセスはしっかりと描かれている(鳥嶋はこれを「努力」と定義してはいないが)ので、この鳥嶋の見解には疑問の余地がある。

 

 

鬼滅の刃約束のネバーランドチェンソーマンに共通してドラゴンボールにはなかったもの

 

 実はここ最近のジャンプの名作、鬼滅、約束のネバーランドチェンソーマンの漫画は、トラディショナルなジャンプ作品とは一線を画していると考えられる。どちらかと言えば進撃の巨人に大いにインスパイアされている。

①解き明かされない謎 

まず、敵が圧倒的に謎に包まれていて、どう倒していいかすらよくわからないまま物語が始まる。そして、従来のジャンプであれば、この謎が解けても、次の謎を次々出すという「引き延ばしスキーム」が取れたのだが、直近のヒット作は、作品全体を包む謎はストーリーと直結していて、謎が解けた/解決された時=最終回となるように設定されている。ヒット作品が30巻を迎えずに終わるというのも直近のヒット作の特徴だと思う。

 

②敗北感、圧倒的なラスボスの強さ

そんな骨太な謎を支えるのは物語開始直後から登場し続ける「ラスボス」の圧倒的な強さである。主人公たちは、基本的にその圧倒的な力に畏怖を感じ、敗北感どころか絶望感すら感じていることが多い。もうそれぞれの物語は、ラスボスを倒すための壮大な物語になってしまうのだ。

 

③みんなで倒す総力感

ことさら、一対一を美徳としていた前世代に対し、今の流行は「総力戦」である。②のチートのような強さのラスボスに対し、協力し、力を補いながら、敵を倒すことが正義とされている。ドラゴンボールも、若干総力戦になるときはあったが、圧倒的な力を誇る敵に対し、順番に戦って力を削っていった。最後はタイマンなのである。幽遊白書もわざわざ敵が数人組で現れる仕組みになっていたのだ。

それに対し、近年の漫画は総力戦、全員の知恵と力を総動員して一匹を殺すのである。

 

 

①、②、③=シンプルなストーリー

 この3つの条件が指し示すのはとてもシンプルなストーリーで、その分主人公の感情や他キャラの感情の動き、そして背景を細かく描くことを可能にしたと思う。

私はこの背景に、他の娯楽の進化があると思う。非現実を描く表現力、美しい絵、奇想天外な展開などは、表現テクノロジーが進化した映画やテレビゲームには勝てないのだ。漫画に求められる役割がより小説的に、叙述的なものになっていることの象徴なのだと思う。