足ることを知らず

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日本と英国の組織に関する所感【追記しました】

個人と組織
ここ数日は会社の経営層とお話する機会が多く、表題のテーマについて話すことが多かったのだが、自分の中で野球に例えて話すと、なるほどその傾向はあるかもね、と納得してもらえることが多かった。

例え話の効用
話は脱線するが、このように例え話で話すことによって、自分の考えも整理されるだけでなく、異なる視点で自分の意見を捉え直す事ができる。例え話をしている間に、より多角的な解釈を出来たことは疑いようがない。



日本と英国の違い
さて、端的に言えば、日本的組織というのは圧倒的に個に依存していて、英国的組織は個への依存を避ける傾向にあるというのがこの記事の骨子である。

待て、日本が集団主義であって海外のほうが個人主義だろう、と思うかもしれないが、そもそもの個人主義を単純に「自分の業務範囲しかやらない姿勢」と捉えていないだろうか。であれば、そのとおりなのだが、以下で述べる通り、少しその定義は異なると思っている。

日本的組織と英国的組織

では野球に例えるとどんな違いがあるのだろうか?

・組織づくり
(日本)モチベーションのある者、若しくはエースプレーヤーがボトムアップでチームを作る。同じポジションの人間(職能)ばかりが集まることも多い。チームの勝とうという目的のための目標設定よりも、個人の「どうやったら球が速く投げられるか」という目標を何故か全員で議論する傾向がある。気づけば全員が球を速くしようと努力している様が見受けられる。

(英国)必要なパーツを監督が洗い出すところから始まる。現状のリソースからベストエフォートで、ポジションをはめていく。経験者がいなければ外から連れてくることも厭わない。勝つという目的に沿って、組織としての目標設定を個人に落とし込んでいく。ただし、ディティールを知っているとは限らないので、「セカンドは別に守備力いらない、打力である」といった眉唾話をそのまま受け入れがちである。仕方がないやったことがないのにやったことがあるように話す人が多いのだ。

要するに組織づくりが非常にファンクショナルに整理されているのが英国で、個人の必要要件が異様に整理され検証されているのが日本だと感じている。(勿論各国ボロボロな組織もあるとは思うが傾向的に)

また、因果関係は別として、日本の場合は選手交代をフレキシブルに出来ない(雇用期間が長い)文化も役能別の組織作りにマイナスに働いている気がする。

・プレーヤーの動き方
(日本)そもそも同じポジションを二人で守っていることはザラ、その場合不易な競争が始まる。セカンド激戦区なのにセンターいないんですが大丈夫ですか?いえいえ大丈夫。セカンドがセンターを守ればいい。そんな指示が飛んできます。とにかくボールがこぼれないように皆が守備範囲を曖昧にしつつ飛びつく、飛び込む。がむしゃらにボールを追う、それ自体が評価されるし、かっこいい。組織としての強さは皆無だが、うまくいく場合というのはありえないくらい優秀なピッチャーキャッチャーが全部三振にしている場合が多い。日本での仕事を頑張っていると、どこの守備位置でもそこそこ守れる人間が出来上がる。(総合職制度の極みである)


(英国)センターはセンター、ライトはライト。ただし、その境界にボールが落ちることは極めて多い。だが、守る方からしてみると、日本にいたころはセンターなのにファーストまで走ってキャッチしろと言われていたので、相当ラクである。そもそもセンターの技能をきっちり上げることができる。ただし、ライトのボールは絶対取らねぇ。ライトのボール取るくらいなら帰る。明確にライトがこちらに依頼してきたときには勿論手伝うが、その際にはライトへのgive and takeをきっちりと考慮したい。どのポジションにも過度に期待することがなく、組織としての完成度を求めている。

このときに問題になるのは、実際のビジネスは野球のようにルールがロバストではないし、個人の守る範囲も特定出来ないということだ。球場が日に日に広がっていく、土の質も変わる、球の大きさも変わるかもしれない。
その場合には個人の突破力や適応力に頼った組織の方が強いという見方もあるかもしれない。


個人への評価
加えて、その組織の在り方だけでなく、個人評価に関しても、試合に勝敗ではなく個人の頑張りや個人の踏ん張りが評価されるのか、勝敗がまずありきでその上に必勝必罰があるのか等の違いがあると感じている。要するに英国では勝てばすべからく皆褒められるし、負ければ吊し上げを食うが、それは誰かではなくチーム全体であり、結果上が責任を取ることになる。比較して日本の場合、現場が責任を取ることがあまりに多くないだろうか。

それも「個人の頑張り次第で成功が決する」という古来の価値観による。会社として従業員を信頼していると言えば聞こえはいいが、信頼していると同時に互いに甘えているようにも見えるのである。一方で、海外の会社においては「個人の配置が成功に占める割合」はとても多く見積もられていると感じる。

このような違いが結果的には個人戦術に重きを置くのか、組織戦略で動くのかに反映されるのだろう。ただ、ルールが激動する今の時代においては、Flexibilityに欠ける組織戦略では限界があり、確実に個の意志やエネルギーを前提とした「領域を超えた変化」が必要である。ただし、これは領域がきっちりと規定されている前提で期待されるべきなのだと思う。

                                • 下記追記----------------

言うまでもなく、日本の政治体制はイギリスをモデルにしているのだけど、面白いのは元来個人主義の固まりのようなイギリス人が制度としては「党」を第一として、すべてが党の粒度で決定されていくのに対し、日本は元来集団主義であるゆえに意外にボトムアップで物事が動いていくところだと思う。

やっぱり日本の根幹は官僚主義にあって、一人一人のプレーヤーのポテンシャルに期待するっていうのはそこから始まっているのかもね。