次の10年は、テクノロジーの生んだ歪みを解決する10年
現在、テクノロジーの進展はもはやビジネス、経済の問題だけではなく、政治の問題、安全保障の問題へと、その影響力を拡大している。どの領域においても、日本という国はその第一線から退き、One of developed countriesとして、中国、米国という二大巨頭での間でどうポジションを取るか模索する立場になった。
多岐にわたるトレンド情報がコンパクトにまとまっているだけでなく、国際政治上におけるテクノロジーの果たしてきた歴史的意義まで説明しているため、コンテクストが理解しやすい。
触れている話題の幅広さ
まず、中国VS米国の構図から、攻撃方法としての技術を振り返っている。これは、DARPRA発足からWWWの発明までの歴史を振り返り、どのように米国でネット技術を商用化していくエコシステム(VC、投資家、経営者)が出来上がったかをわかりやすく説明している。
この後に記述するが、テクノロジーは正義の味方ではなく、どのような目的を持った主体に対しても平等な「武器」であり、「防具」である。テクノロジー自体に方向性はなく、それを使う主体次第なのだ。
コロナは個人の権利と社会安全性というトレードオフに質問を投げかけている好例だ。技術的には、ある個人の健康状態と行動を100%とラッキングすることができる。それを実現しかけているのは中国で、コロナの抑え込みにきっちりと成功している。だが、今の欧米の文脈ではプライバシーをあそこまで犠牲にすることはできないだろう。Googleや英国が開発したトレーシングシステムの結果は芳しくない。技術ではなく、政策的な課題なのだ。
話題は変わり、特にEUからのプラットフォーマーに対する警笛がわかっているようでわかっていない人向けに、アイルランド・オランダのサンドイッチ脱税スキームなどにも詳しく言及している。EUからの訴えが言いがかりに見える人には、ここで一度勉強してみたほうが良いかもしれない。
仮想通貨も政治と切り離して話すことはできず、中国がそこの覇権を中央政府が舵を切って進めているのに対し、欧米のイニシアチブは分散されている。
自分の頭に特に残ったトピックを下記に紹介する。
テクノロジーに関して皆が誤解しているのは、テクノロジー企業とテクノロジーは一義ではないということだ。Facebook、Googleの企業風土と彼らが築き上げてきたテクノロジーは全く違う性質を持つ。すなわち、Diversityを愛する又は表明している彼らの技術が必ずしも、Diveristyを推進するとは限らないという残酷な事実である。むしろテクノロジーは、独裁的な組織やモラルを重視しない犯罪組織に良いように利用される傾向が強い。Deep Mind買収以降、ビジネス上のインパクトが大きいブレークスルーは数えるほどだが、Deep Fakeなどのテクノロジーを悪用したスキャンダルや情報流出、フェイクニュースはとどまるところを知らない。
だからこそ、個人や企業はより高い倫理観を以て、テクノロジーを活用すべきだし、悪用されたときのContingencyプランを備えていくべきなのだ。
また、日本が指をくわえている間に完全に覇権を奪われた、スマホOS戦争において、日本の「失敗を恐れる文化」を痛烈に批判している。AndroidはGoogleにおよそ50億円で買われた。このサイズの買収であれば、日本企業にも可能だった。しかし、その技術をAppleと市場を二分する巨大なOperating Systemに成長させるヒトモノカネを集中させられたか、パートナー企業と組むことができたのかなどを考えると、とても楽観的なことは言えない。2005年に買収したこの会社は2011年にiOSを超えるOperating Systemになる。
計画と実行にほとんどラグのない、スタートアップの文化が上記の買収と成長を実現させたといえる。
トライアンドエラー文化が生んだ歪み
しかし、この文化が、技術開発から政治を置いてきぼりにしたことも事実だった。明らかに現行の政治制度は技術の進展から遅れており、さらにまともに解釈すらできていないものも多い。その結果、短期的な成長の連続によって、長期的に守るべき倫理的視野が失われていったことも事実だ。そして、今我々の世界が抱えるほとんどの課題は、現実と政治と明るい未来のギャップを埋めることにある。だからこそ、GoogleはDon't be evilを掲げていたのではないだろうか。