足ることを知らず

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五感全てを同時に満たしたがる現代人

ニコニコは「テキスト」と「動画」が共存したコンテンツである。五感の中で使われているのは聴覚と視覚なのだが、実は、現代人はこの聴覚と視覚をフルに使っている。いや、使い過ぎているといってもいい。

音楽を聴きながら勉強するな!はもう古い?

僕が中学生の頃は、音楽を聴きながら勉強することは禁止されていた。やはり、勉強に集中出来ないというのが、最も大きな理由である。

しかしながら、今や、エクセルやワードを使って資料を作る時に、視覚以外の感覚、即ち聴覚が刺激を求める。音楽を聴いてリラックスしながらも、ネットサーフィンしたり、ブログを書いたり、視覚・触覚を用いたコミュニケーションや、作業をやりたがる。五感をある程度埋めたい欲求が常にあるのだ。集中力は確かに落ちるかもしれない。しかしながら、僕らは確かに同時に複数の欲求を満たすことを求める。

所謂「ながら」を複数こなすことで同時に欲求を満たしている。
一体どうしてこんな風になったのだろうか。

「そうしなければならない理由」がある。

時間がない。5つの感性一つずつに十分な刺激を与える時間がないのだ。

ひとまず、処理すべき聴覚的、視覚的情報が圧倒的に増えたことは間違いない。それに比べ、触覚や味覚、嗅覚はそこまで変わっていない。
兎に角、目と耳を酷使するようになった。


そんな中、目と耳に心地よい刺激を与える時間はほとんどない。欲しい刺激のために目や耳を使えることは本当に少ない。
結果、様々なことを「ながら」で行うことになる。

「ながら」に慣れ過ぎると、たまに耳だけに全てを傾ける時間や、目だけに全てを傾ける時間にとても癒される。
それは、時間に余裕がある証であり、その余裕がキモチにも効いてくるからだろう。

こんなサービスも出てくる。
Do Nothing for 2 Minutes


テキストと動画の共存に対する「慣れ」
しかしながら、我々が五感の一つにたっぷりの時間を掛けられることはほとんどない。
どころか沢山の情報を一気に処理しようとする。そして疲弊する。

ニコニコを見るとき、僕は疲弊しない。どころか、少し癒される気すらする。
動画にテキストという文字情報を増やしたにも関わらずだ。

それはひとつひとつの情報を吸収する時、濃度を極端に薄くしていたり、全てを吸収しようとしていない(コメントを読み流す)見方をしているからかもしれない。


まとめると、こういう「ながら」で大量の情報を処理する生活者って増えてきていると思うのです。
特にスマートフォンて、プライベートなメディアであるモバイルでありながら、テレビの情報や位置情報とか色んな「ながら」に向いているメディアだったりします。しゃべりながらtweetなんて日常茶飯事ですし。

という、今後の「ながら」コミュニケーションに注目というお話でした。