足ることを知らず

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CAEフレームワーク

このブログでも良く述べていることなのですが、僕は人間の知的行動、知的伝達は3つの区分で分けられると考えています。


一つ目は情報の収集(Collection)
見たり、聞いたりというやつですね。
こちらは外部から自分の脳に情報を伝達するプロセスです。
まず、どのような媒体から、どのような「器官」に伝わるのかということが収集においてポイントになってくるはずです。

二つ目は情報の整理(arrangement)。
構造化、組み合わせ等様々な情報整理がこのプロセスで行われます。
いかなる補助ツールがあろうと、このプロセスは「脳」でしか行われません。今までのエントリもほとんどここの要素が強いでしょう。


三つ目は情報の表現(expression)
絵を描いたり、口で話したり。
様々な方法が考えられるでしょう。

また、どのような言葉を用いるか等も表現を見越した脳の働きとして「表現」のプロセスに含まれると思います。



これに名を付けるとしたらCAEプロセスなんていうありきたりな名前しか出てきませんでしたよ(笑)

さて、このCAEプロセスを用いて、いくつか普段の生活について提言を行ってみます。

『全ての知的行動のプロセスの目的は「表現」に集約されるべきである。』
誤解をしてほしくないのは、小手先の表現技術が極めて大切であるということではありません。
「知的行動」としている限り、収集や整理で終わってしまってはいけないと思うのです。

例えば、物を知ることだけが楽しみの人がいるでしょうか。中にはいるかもしれませんが、やはり、「知った上で考えること」が大切であり、楽しさではないでしょうか。
そして、知識や情報を集めるだけならコンピューターには敵うことが一生ないのです。
また、整理=理解が目的というのも違和感があります。確かに知的好奇心を満たすことは大切です。しかし、そこで終わってしまっていいものなのでしょうか。人間はいつか死ぬ生き物です。その頭の中は自動で本部のコンピューターに送られるわけではありません。死んだら、全て消えてしまうのです。この整理されたデータを残す方法はたった一つ。「他者に表現すること」なのです。

以上が『全ての知的行動のプロセスの目的は「表現」に集約されるべきである。』理由です。

話は変わりますが、先ほどのコンピューターの例を考えると、整理と表現のプロセスに関してはまだまだ人間に分があると感じています。コンピューターは確かに計算の様な「特定の切り口」での整理にはめっぽう強いものですが、組み合わせや構造化、その他様々な「化学変化」のような整理は不得意、というか出来ません。そして、表現にしても、「人間に伝わりやすい表現」を行えるのは人間の収集プロセスを熟知している人間のみです。表現においてもコンピューターは「ツール」にすぎないのです。



さて、最後に人間の優秀な「収集」「表現」器官についてCAEプロセスを用いて説明してみましょう。

ちなみに「整理」を行えるのは脳だけです。口に出したり、書いたりすることで整理する人もいますが、それは口や目が整理の補助ツールとして働いてくれているだけなのです。


まず。いわずとしれた最強の情報「収集」装置です。
このブログもあなたの目を通して情報収集されています。加えて、アイコンタクトの様な「表現」も行うことが出来ます。実はこの「表現」のウエイトも馬鹿に出来ないので私は個人的にこの「目」という装置を重視していますね。

次に。嗅覚という収集を担っています。表現としては鼻を鳴らす等があります。「表現」に関しては近代に入って最も劣化した器官な気がします。鼻を使ったコミュニケーションなんて思いつきますか?
ついでに私は鼻づまりなので収集ツールとしてもイマイチ。

。耳は表現が一切出来ない器官です。動物の中には耳で表現する動物もいるのですが。しかしながら、目に次ぐ収集装置です。目との相性も抜群ですね。


。言わずと知れた最強の表現装置です。収集は・・・味覚ですね。



これらの器官に独断と偏見を込めて5点満点で点数を付けてみました。

目:収集5表現2
鼻:収集3表現1
耳:収集4表現0
口:収集2表現5

といった感じですかね。まぁ手とか他の器官も山ほどありますが、とりあえずこんな感じで纏めてみた。
なかなか面白い分析が色々出来そうです。

続きはまた後日。