足ることを知らず

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コンサルタントの存在意義

就職活動中によくしていた質問がありました。

経営戦略という、経営の醍醐味の様なものを外注するのは何故なのでしょうか?

というシンプルな質問です。だって、自分が創り上げてきた玉の様に可愛い会社のパーツ即ち経営資源の分配を赤の他人に任せるって凄く勇気のいる意志決定だと思いませんか?

でも、今考えるとこの質問に対する答えっていうのは意外にも僕が一番わかっているのかもしれないと思いました。

話がガラッと変わるのですが、僕は野球がダントツで好きなスポーツの一位で、中学3年間だけ野球をやっていました。高校は野球部がなかったので野球が出来なかったのですが、あの中学の野球をやっていた3年間は僕にとって本当に楽しい日々でしたし、未だに忘れられない3年間です。

最初はショートのポジションをやっていました。しかし、ショートにとても上手い子がいたので肩が強かった僕は外野へのコンバートをせざるをえませんでした。しばらくはほとんど使うことのないバックホームの心地良さを味わっていたのですが、ある日うちのエースピッチャーがファーストに移りました。硬式野球をやっていた子だったので、軟式でピッチャーをするのは肩を壊すリスクがあったのですね。そして、当時一番球が速かった私がピッチャーとして選ばれました。バッティングが得意ではなかった私は投げ込みを毎日のようにやりました。幼少のころから野球が好きだけど、父に言われて野球が出来なかった僕は一人内緒で壁当て投げ込みをしていたので、キャッチャーのいる投げ込みは本当に贅沢で楽しい練習でした。2年の夏、大会でエースナンバーを付けることが出来た僕は一回で11点を取られる試合を作ってしまいました。そう、フォアボールの嵐だったんですね。フォアボールでランナーを溜めて集中力の切れた野手のエラーを誘う。勿論押し出しもありました。で、当面の課題は「コントロール」になりました。

先輩の夏を奪ってしまったこともあり、必死で練習をしていました。下半身の強化のために毎日走り込んで、家ではシャドウピッチング。幸い体は丈夫だったようで、ハードな練習にも耐えてくれたんですね。

ただ、コントロールはいつまでたっても改善されませんでした。ついに僕は2年のピッチャーにエースの座を譲ることになったのです。エースナンバーをつけたまま。1の背番号が試合に全く出ない状況はきっと不気味だったでしょう。しかし、12年連続初戦敗退だった僕達のチームがこの年は3回戦まで行ったのです。僕にとってそれは最高の喜びであると同時にグラウンドに立てない悔しさが人生最大の屈辱となりました。

「頑張っても出来ない」ということは重々にしてありうることです。それは頑張る方法や方向が間違っているからです。僕の場合は、下半身よりもリリースポイントよりも「目」が問題でした。受験期に伴う視力の低下。霞む目。だから、集中力も途切れるし、外野の守備ももたついていた。そんな簡単なことに気付かなかったのには二つの理由があります。

①気付いていたが認めたくなかった。
視力の低下は初めてのことで、男女共学の環境でメガネにしたくないと強く思っていた自分にとっては認められない事実でした。
②頑張りが足りないと思っていた。
頑張れば頑張るほど、そのことしか頭に入らなくなります。練習量というのがあの時の僕にとっての唯一の価値基準でした。

この二つって企業にも当てはまることだと思います。外から言われなければ気付かないこと。中学の時の僕に今の僕が声をかけられるとすれば、今とは違う未来があったのかもしれません。

経営者にとってもそれは同じです。①の場合なんてプライドの高い人間にとっては特に多いことでしょう。だからこそ、累積経験をためた人間が多面的に分析を行うことで付加価値をつけているのです。

僕の親や先生が僕の視力検査を見て
「君は目が悪いんだ。だからコントロールが定まらない。頑張るのを辞めてメガネを買いなさい」
と話していたら、少し違う未来があったのかもしれません。

まぁお陰で受験勉強は悔しさをバネに頑張れたのですが。こっちの方が向いていたみたいですし。

だから、医者とかコンサルタントという「意思決定にアドバイスを送る仕事」というのは僕は凄く尊敬していますし、必要性が高いと思っています。

コンサルタントはもう少し専門職の要素を取り入れたものにした方がいい気がしますが。住み分けとか。

駄文ですが、書きとめておきたかったので書いてみました。