足ることを知らず

データサイエンス、経営、グローバルなどをテーマに書くブログ

日本独自のフリー

クリス・アンダーソンのFREEを読んだ。

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略


元々はRSSで拝読しているGiGirさんのエントリアニメビジネスをフリーミアムモデルで考える - 未来私考を読んで「ロングテールの著者が新しく出した本ならば読まないわけにはいかない」と思い、即日、購入した。

この書籍については、前書籍の「ロング・テール」がwebの著名人の中で中々の物議を呼んだこともあって、発売間もないのに実に多くのエントリが投稿されている。

クリス・アンダーソンの『フリー』はロングテールに続くネットの常識になりそうです:[mi]みたいもん!
FREE(クリス・アンダーソン著) - Ctaの日記
FREE クリスアンダーソン - memoire135の日記

以下、書籍のことを「FREE」と呼び、その中で述べられている概念を「フリー」と呼ぶ。

FREEの要点
FREEでは次の言葉が強く中心に据えられている。
「デジタルではビットは無料になりたがる」
即ち、デジタル世界では、全てのものが無料に移行するということである。その理由は以下の様に述べられている。

競争市場では、価格は限界費用まで落ちる。インターネットは市場もっとも競争の激しい市場であり、それを動かしているテクノロジー限界費用は年々ゼロに近づいている。フリーは選択肢の一つではなく、必然であり、ビットは無料になることを望んでいる。

成程、我々ユーザーはサービスに対し全ての制限がなくなることを望んでいる。(他人を除いては)経済的制限である価格を取り除くことは本望だし、そのサービスに人気が集中することも当然だ。

デジタル、アトムの二元論を僕が初めて見たのはニコラス・ネグロポンテの「ビーイング・デジタル」を読んだ時だったと思う。リアル世界での衣食住を始めとした物質的なものを「アトム」、デジタル世界の質量を持たないデータをデジタルと定義している。ネグロポンテの書籍はアトムからデジタルへの移行を述べたものである。その移行理由の一つに今回述べられているフリーの概念があった。

フリーとはサービスや商品購入の大きな障壁の一つである。アトムと競争する時にこれらの以前エントリで、全く逆の視点(ネットはフリーばかりでビジネスモデルを確立出来ていない)といった旨を述べた。ネットの需要はネットの外に出ない - 足ることを知らず〜Don’t feel satisfied 〜


日本人の特性
しかしながら、こと日本人やアジア人にとってはFREEで述べられたことが当てはまらない部分がある。以下の文章は私の専門外だし、すべからく当てはまる・正しいわけではないが、参考程度に読んで頂きたい。
現在はかなり欧米化が進んできたものの、日本というのは想像以上に「費用対効果」という概念が根付いていない社会を持つ。有り余る努力を美徳とする、必要のない苦労もいつか報われる、独立性よりも協調性を重視するといった独特の文化はアングロ・サクソン系の民族とは異なるものだ。
日本人にとって様々なもの(金銭に例えることが少しでも難しい付加価値)に対して費用対効果を測る概算を行うことは不得意なのだ。


フリーで歪むビジネス
日本ほどフリーのモデルが歪んでいる国はないと思う。

フリーミアムは「有料会員が無料会員のコストを補う」システムなのだが、この有料会員が「出してもいいかな」という気分で出費する正常なフリーミアムと「出さなければならない」という脅迫観念で出費する歪んだフリーミアムが存在する。

この歪んだフリーミアムが最も起こりやすい心理的背景が「ギャンブル」と「コレクション(ヲタク)」である。前者はデジタル化の前から存在していたフリーミアムだった。というかギャンブルの仕組み自体がフリーミアムの亜種といえる。日本ではこれがどんどんコンテンツの世界にも押し寄せてきた。エヴァマクロスアクエリオンを始めとして、有名アニメがどんどんパチンコ・パチスロ化されている。アニメ業界においてギャンブルはかなり期待できる収益源なのだ。


GiGirさんのエントリでは以下の様な言及がされている。


商品内容を全て見せてしまうアニメビジネス

 今現在のアニメビジネスを批判する言葉としてよくあるのが「商品内容を全部無償で見せてるのにパッケージが売れるわけがない」というものがあります。これは一見もっともらしく聞こえますが、実はフリーミアムの原則を考えればまったく真逆の話であるということに気付かされます。無償で、出来る限り多くの人に見せるからこそ、より多くの人が購入する動機を得ることが出来る。それを逆手に取ったのが1990年代から始まったパッケージ化前提の深夜アニメ…いわゆる製作委員会方式のアニメ群ですね。全国ネットの全日帯が1枠1000万円以上という高額だったのに対し、1枠100万円程度で買える深夜帯はアニメのビジネス規模に見合ったもので、また録画機器の普及と相まって、積極的なアニメファンは録画をしてアニメを視聴、その中から気に入った作品のパッケージを購入するというサイクルが回転し始めたことがアニメビジネスを一気に巨大化させた主要因だったのではないかと今では考えています。

アニメ映画のパッケージとしてはダントツの売上を誇るジブリ作品…例えば先日放映された「天空の城ラピュタ」なんかも過去20年に亘って、実に12回も地上派で放映されているからこそ、DVDも売れるんです。それを言ったらドラえもんサザエさんはどうなんだ?という声が聞こえてきそうですが、これらのタイトルはフリーミアムの概念のうちの「プレミアム」の部分が少ないという点が上げられます。

フリーの重要性がアニメの中で存在感を増している。これを補うためにアニメ制作会社は様々な道を模索した。そして、現在の様な形になったのである。

コンテンツの版権販売は何も歪んだ話ではない。しかしながら、その相手がギャンブルとなれば話は別だ。ギャンブルをする人間はコンテンツに食いついているわけではない。勿論、最初はタイアップの話題性に食いついたかもしれない。しかし、「話題性が大きい」=「ホールが大量導入する」=「出玉のある台が期待できる」という思考も成立する。大胆に述べれば、アニメを楽しむユーザーのコストの一部をアニメではなくギャンブルを楽しんでいるギャンブラーが担っているモデルが存在するのだ。

そして、ネットゲームではコレクターとしての強迫観念が存在する。「アイテムを集めなければならない」し、「時間をかけなければならない」自分がある程度の地位に行ってしまうと、もう止まらない。フリーに対する有料課金がゲーム内でのヒエラルキーを形成する。

これはカードとか、他のコレクターにもあった現象だ。カードなんて、紙に情報を乗せたものでしかないから、一番アトムからデジタルに移行しやすい。

だが、これらの「無料利用者のために意図しないうちに何万、若しくは何十万の出費を有料利用者が行う」モデルは本当に正しいのだろうか。僕は破綻していると思うのだ。

ニコニコの有料会員レベル(500円等)の出費であれば僕は健全なフリーミアムモデルだと思う。そこには出資者の費用対効果に対する思考がしっかりと行われている(最低限)はずだから。逆に上の様な場合、出資者はコンテンツに対する費用対効果や、ゲームに対する費用対効果を考える思考能力が麻痺している。元々費用対効果を考えるのが苦手な社会にとって、フリーから有料への移行において最適な判断を行えているとは思えない。ここが「儲ける」ための穴、費用対効果の思考破綻になっているのが歪みだと思えるのである。

ビジネスモデルを確立しないと結局破綻する。

確かにデジタルでの限界費用は年々ゼロに近づいている。しかしながら、限界費用として考えられていない「人件費」を考慮していない。人件費は言わずもがな、「人の時間」をお金に換算したものである。どれだけ、効率化されても人の時間は有限であり、その価格は適正な評価を受けるべきだ。人はアトムの体を持つ限り、完全にデジタルにはなり得ないのである。となると、少しばかりのお金でも「集める仕組み」は不可欠になる。
広告というビジネスモデルは著者が本作の中でフェイスブックの広告媒体としての価値の低さを例に挙げているようにネットにおける広告ビジネスモデルは企業にとっては嬉しいが、多くのネットサービスにとって「儲かる仕組み」にはなりえていない。10億人集めたSNSの広告媒体価値がほとんどないということからも、わかると思う。
実はこの「儲かる仕組み」がわからず収益化出来ないのに、「ユーザー」にとっては嬉しいというのが、『歪み』の根本的な原因となっている。

でも、とりあえずユーザーを喜ばせなければ、負けてしまうのだ。それぐらい流れは速い。ノロノロしていたら、もうGoogleがやっている。

例えば、p308における『タダで提供したのに、あまり儲からなかった』の例もある。読者にファイルを無料提供して寄付金を集めようとした例だ。この試みは1750人に1人の割合でしか寄付者を集められず、大失敗した。著者はこれを「やり方が悪かった」と一刀両断しているが、この「やり方」が確立されていない点が問題なのだ。


フリーミアムを確立するためには
書籍では最後にヒントとして4種類の「制限」を提案している。時間制限、機能制限、人数制限、顧客のタイプによる制限。経済的制限が「価格」なのだから、他分野で「制限」を課して経済的制限の方が楽だと思わせれば、有料会員は増えるということだ。

例えばニコニコで言えば、無料会員の1ヵ月の視聴時間を24時間に制限するとか、そもそも30日間無料でそのあと有料にするといったモデルである。若しくは高校生は無料でもいいかもしれない。高校生でニコニコを見ている人間が大学になって見なくなるといったことは考えにくい(時間的余裕を考えて)。


しかしながら、これはとても難しいバランスを取らなければならない。無料会員の効用を「少し物足りないが、利用をやめるほどではない」というところにとどめなければならないからだ。甘くし過ぎて有料会員へのインセンティブを削いでもいけないし、厳しくし過ぎてそもそもサービス利用へのインセンティブを削いでもいけない。

かなり厳しいことを求められるのがフリーミアムなのである。特に日本ではこのバランスを取るのは難しい。何故ならば、集団の意思決定の要素が大きく働きすぎてしまうからである。「有料会員60万人まであと・・・人」という広告を僕は批判した経験があるが、結論から言うと、あの広告は効果があった。有料会員の登録ペースは上がったのだ。何の制限も加えられていない、何の機能拡張も行われていない期間だったのにも関わらずだ。

日本の消費者は予想以上に費用対効果で動かない。すると、真に「サービスの価値を算定することが必要」となるフリーの時代を渡っていけるのか不安なのである。