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Wikipediaという奇跡- アルゴリズムのないユートピア

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今年の1月15日は、とあるウェブサイトの20歳の誕生日だった。

Wikipediaは、35歳の私が大学生のころ、レポートを書くとき、格好のコピペ元だった。大学の教員もそんなサボりが起こることは心得ていて、Wikiのコピペは大幅減点だったのだが、そこそこ悪知恵の働いた私は、Wikiの参考リンクをたどり、類似サイトをグーグルで見つけることで、論文やレポートを書いていた。

Wikipediaやウェブサイトがほとんど出典として認められない時代だったし、今も出典に関してはアカデミックな論文だけが許されるのかもしれない。

 

今、Wikipediaはもしかすると、一番信頼できるメディアかもしれない。

 

Fake Newsの全盛

 

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Google, Facebook, TwitterなどのWestern cultureのニュースソースとなっているプラットフォーマーが最も苦しんでいるのがFake Newsである。これらのプラットフォーマーはすべて広告費で動いている。広告費をMaximizeさせるには、彼らのアプリやアクセス数を伸ばす必要がある。そうなると、インタラクションされやすい記事、クリックされやすい記事を自動的にトップのほうへ寄せることになる。また、それをターゲット毎に最適化するようになる。

すると、例えばアメリカ大統領選のように陣営が分かれた場合、トランプ支持派にはトランプ支持の、バイデン支持派にはバイデン支持の、「信じたいもの」を配信するニュースが優先的に配信されるようになる。そして、多少過激で裏が取れていないものほど、議論が盛り上がり、「インタラクションが強い」記事としてアルゴリズムの評価が高くなるという悪循環が始まる。

 

アルゴリズムは、Fake Newsにvulnerableなのである。なぜなら、アルゴリズム集合知ではなく、単なる無知の人間の投票によってのみ評価を行うからだ。Fake Newsが何故FacebookGoogleといったテクノロジー企業の素晴らしい技術力を以てしても防げないのか?それは、その評価が、無知な人間のLikeやクリックといったほとんどコストのかからない行動によって行われるからだ。

 

性善説と非営利であることが生んだ信頼

Wikipediaは違う。Wikipediaの編集コストは、Likeやクリックの比ではない。初期は、悪ふざけの編集も非常に多かったが、今は編集するにもそれなりの信頼を集めてからでないと、編集ができない。そして、明確なコミットメントとレピュテーションを集めた選ばれし編集者、というのが性善説の前提で、集合知を形成していく。アルゴリズムの意図を介さず、明確なソースが得られている情報を書き込んでゆく。(勿論ソースの信頼度に濃淡はあるが)

 

もしこれが利益を生んでしまうプラットフォームで、編集者の懐にお金が入る仕組みだと、このようなユートピアは生まれない。営利組織になった瞬間に、そこには「資本主義」的競争ともっと読まれる仕組みを必要としてしまう。百歩譲ってSubscriptionならば、運営上は良いかもしれないが、その一方で情報カテゴリの偏りを招くかもしれないし、有料会員の生存率、LTV最大化というKPIが発生し、特定記事を強化したりという意図が生まれてしまう。いずれ、無限に広がり続けるインターネット上の情報に対応しきれなくなるだろう。

 

勿論ニッチな記事や、Controversialなトピックに関してはまだWikipediaに課題は多い。そして編集者のDiversityにも課題はある。その編集者の多くが白人男性というバイアスから、Wikipediaの記事内容は逃れられていないかもしれない。

 

しかしながら、アルゴリズムがすべてをDisruptすると信じられていたインターネット・デジタルの世界で、Wikipediaが、よほど信頼できるソースになっているというのは、何とも痛烈な皮肉ではないだろうか。