足ることを知らず

Data Science, global business, management and MBA

大企業はどうやって生き残れるのか?

個人のキャリアとしての大企業の存在意義は下記のトイアンナさんの意見にまとまってると思うし、日本の旧来企業ではなく、グローバルジャイアントの経験を踏まえたものなので、この記事では割愛する。
就活生へ安易にベンチャーを勧める大人が多すぎてキレそう - トイアンナのぐだぐだ

大企業の存在意義
大企業の存在意義と書くととても大層なことのように聞こえるが、このブログの主題は「いわゆる大企業のビジネスというのがスタートアップなどのDisruptorに破壊される側にあり、時々既得権益として疎まれすらする中で、大企業が今後社会に還元していくには何をすることが良いのか」ということである。

因みに、十年前、二十年前までは、生活に欠かせない社会インフラの提供や、それこそ人類の「進化」とも呼べるようなイノベーションが、大企業の提供してきた価値だったように思える。それらが、世界を代表するような巨大な企業によって開発、平準化され、普及してきたというのが、これまでのパラダイムだった。そういう意味では、大企業が競争し、より良いもの、より良いサービスを生み出すことによって人類はより利便性の高いベネフィットを享受してきたと言える。

業界再編がありえないスパンで繰り返される時代
デジタル、即ち情報の氾濫とその隆盛とともに、Competitorの定義は非常に曖昧になった。消費者が自ら情報を集め、代替品を定義する時代である。即ち、企業側が引いてきたIndustryのラインが消費者・生活者によって曖昧にされる時代になっていると感じる。

その中で、新たな価値を提示し、業界構造自体を変えようとするスタートアップは、これまでの産業のルールを提示してきた大企業にとって脅威以外の何物でもない。将棋の絶対勝てる打ち筋を何千人で頑張って研究し実行してきたのに将棋のコマを無限に量産するプレーヤーがしれっと現れるのである。問題は、大企業がその新しいルールに対応するのは容易ではないということだ。人が増えれば増えるほど、ガバナンスやマニュアルがものを言うようになる。そして、その蓄積知による成功体験はある意味、変革をしなければならない際の枷になりうると思う。

我々が大学院のときに経営学の講義で教えられたのは「持続可能な成長=Sustainable Growth」だった。今、それを単一のビジネスで成立させてもその持続可能期間は短い。どちらかといえば、Quick and Dirtyに新しいビジネスを試して、その不連続な試行の結果、持続可能な成長をしているように「見える」企業が勝っていくように思える。

既存事業が儲かっているので、既存事業に投資し、その競争優位性を強めるのは、非常に論理的に聞こえるが、もはやその産業自体がアメーバのように変化していく時代では、既存事業でデファクトをいち早く取って、そのカネを次の事業に回さなければならない。これができているのは日本の企業だとソフトバンクくらいじゃなかろうか。

大企業が今後やっていくこと
そこで、大企業の価値とは一体どこにあるのかということをもう一度考えてみたい。まず、今後の大企業の大きな価値としては大きな図体から生まれる「余白」にある。
• Top 20 R&D spenders 2017 | Statistic
現在R&Dのトップ企業はAmazon、Alphabetだが、彼らのR&D費の行き先が現業のものかというと必ずしもそうではないと思う。むしろ、彼らの次のビジネスの種であったり、「人材を集めるため」の先進的な領域が多いのではないだろうか。もちろん、彼らの芳醇な利益を生むビジネスモデルもそれとは無関係ではないが、Amazonの利益率は決して高くないのにもかかわらず、彼らのR&D投資は常軌を逸したレベルにある。それはAmazon自体が、「持続可能な優位性」の幻覚をかなぐり捨て「常に新しい優位性を確立しようとする」企業文化にこそ、持続可能性があると考えているように見える。

一方で、その大きな資本をもとにした企業買収も一つの役割と考えられると思う。これまでは水平統合・投資が圧倒的に多かったと思われるが、今後は広義の業界定義による垂直調合や水平統合も増えていくと思う。更にはCVC投資のようにスタートアップの成長エンジンとしての役割も期待されると思う。。すなわち、Disruptorが怖いのであれば、それを取り込んでしまうということだ。

これを考えていくと、大企業というのは、ファイナンス機能とネクストビジネスの研究機能に集約されていくのかもしれない、なんて妄想が頭に浮かんでくる。
それまで築き上げたなにかにすがることなく、いち早くヒト・モノ・カネをフレキシブルに次の領域に突っ込むことができる企業が生き残るのではないだろうか。

そのときに大企業は、大企業が大企業である意味、今の規模を維持する意味という本質的な質問をもう一度考え直せると思う。

GDPRで不安になってる日本人と知らなさ過ぎる日本人大杉

さて、タイトルは若干釣り上げを意識したけど、今EUにおいて施行されようとしているGDPRについて、イギリスに住んでる身からちょっと解説したいと思う。
因みに日本に住んでる人間からまともな見解を聞いたことはない。まぁ対岸の火事だよね。

GDPRって何?
EU GDPR Information Portal
GDPREU General Data Protection Regulationの略で、2016年の4月14日に承認され、2018年5月25日から施行されるEUを対象にサービスを提供している全ての企業や事業体に施行されるRegulationである。

日本語の資料でまともなものは一個もなくて正直ドン引きした。そりゃみんな過剰&過小反応になるわ。

物凄くサマリーをすると、GDPREUに関わる全てのデータが対象となる規制なので、グローバル企業が「僕は関係ありません」と言い切るのは無理である。
下記をみればわかるが、無関係と言える企業は日本でも超ドメドメ、東京電力とか東京ガスとかだろう。
How US Based companies should be thinking about GDPR - SpotX

何がヤバイの?
さて、このGDPR、何故こんな話題になっているかというと、その罰則・罰金がえげつないのである。
Get Going on Your GDPR Plan [Infographic] – Blog | Imperva
In Depth: The GDPR time bomb - Insurance Post
もしGDPRの規約を破れば最大で、€20M(26億円くらい?)若しくは昨年の売上の4%が罰金として吹っ飛ぶのである。(最大でね)

我々代理店の利益率をかんがみると、ちょっと笑えない数字ですし、小売とかだと美味しく利益吹っ飛ぶ感じ。

これを避けるには自分たちが違反していないことを72時間以内にちゃんと報告・証明しなきゃならないんです。

まぁデータ界隈に生きてるとこれが結構しんどいよねっていうのもみんなわかる話。


どうすればいいの?

ぶっちゃけわからん。
何故かと言うと、規定で定められている条項が法律に近いので、技術的には割と広く解釈できてしまうのである。よって、GoogleFacebookなどのWalled Gardenプレーヤーは非常にDefensiveな反応をした。
Google Sharply Limits DoubleClick ID Use, Citing GDPR | AdExchanger
まぁFacebookはCambridge Analyticaの話もあったけど。

要するに誰か血祭りにあがるまで、グレーゾーンだらけだし、拠って「狙われそうな」企業は超ディフェンシブになると思う。一応個人見解ではCookie IDはPIIではないので、Googleさんの上記の反応は割と過剰だと思う。

日本企業としては、過剰反応する必要はないが、ちゃんとData Governanceという機能を定めるべきだと思う。Privacyに関わる部分じゃなくて、もっと広義のData Governanceを積極的に導入すべきだと思う。

Data CatalogueとかData Governanceって日本では全然耳慣れなかったけど、分野としては今後熱くなる可能性があります。本質的にはあまり芯を食った話ではないと思うのだけど(本音)

というわけで、GDPR知らなかった皆さん、勉強しましょう。知ってて、何故か焦ってる皆さん、落ち着いて。誰か血祭りに上がるのを待ちましょう。

北欧を知らないやつは一度その物価と味わいの深さを身で体験しろ。

北欧日記
アイスランドに来ている。

メンヘラの女の子みたいに、激しい突風と身にたたきつけられる雹が降った5分後にはカンカンの日差しが照っている。なんて日だ!がずっと続くレベルの天候なのである。

5月、温度は2度、日の出4時、日が沈むのは10時である。
寝かせてくれと言いたいレベルだが、これは夏至が来るまでさらに極端になるし、一方で冬至のえぐさは想像に難くない。
北欧は鬱になりやすく、自殺率も高いといわれるのもある程度は納得できるくらいの極端な上がり下がりがある。

さて、この国、それ以上に物価の高さがえぐい。大衆バーでビールを頼めば1000円以上、普通のレストランで前菜スープを頼めば2000円。極めつけはスーパー銭湯が15000円でディズニーランドより高い。もちろん僕はディズニーランドのほうが圧倒的に楽しいと思うし、ちなみに飲み物、食べ物もディズニーランドのほうが安い。(パックのシーザーサラダ、2200円になります。)恐らく農作物が畜産が豊富にできるような土地ではないので、海鮮物くらいが名物になっている。

空港から一番安いバスでの往復が7000円したのも面食らった。ロンドンからの航空運賃の50%である。もう海に直で着陸してくれ。

一方で、そこに広がる自然や景観は素晴らしく、空気もとてもおいしい。ロンドンで最悪の花粉症に見舞われたが、そんな症状はどこかに飛んで行ったのである。
(代わりに寒さによる肩こりという負債を負ったが。。。)

北欧はデンマークスウェーデンしか行っていないが、似たような気分になった気がするのだ。

何故北欧にあこがれがあるのか
ふと、考えたのは、このバカげた物価で暮らしているこの国の国民は果たして幸せなのだろうかということである。いや、もしかするとものすごい給与が高いのかもしれないが、北欧の人は福祉に頼っている分、貯金がない人も多い。大きな政府がある意味で資本主義よりは社会主義よりで機能しているということなのだろうか。

この領域はずぶの素人なので、種々の訂正意見は大歓迎なのだが、この北欧という国が、圧倒的に優れているといわれるのが生産性である。
北欧ではなぜ高い労働生産性を維持できる? - IT、IT製品の情報なら【キーマンズネット】

まぁ確かに細かい働き方でいろいろ変わる面もあるだろうが、僕はそういうことではないもっと根本的な差異を感じたのだ。
街行く人や、北欧のチームと働いた時も、抜群の生産性の高さを感じたことはない。もっと言えば、交通網も発達しているとは言い難いし、ビルも古いものが多い。
これで一番の都会なのかなぁと疑問に思うことが多いのだ。

北欧から生まれた世界を代表する企業も多いが、生産性でナンバーワンになった会社なのかは甚だ疑問だし、破壊的イノベーションを起こしている企業も多くないと思われる。

ここで生産性の定義に立ち戻ってみると、北欧がガンガン上に入ってくるのは一人当たりGDPGDP nominal)である。
List of countries by GDP (nominal) per capita - Wikipedia

どちらかというと取引額(物価)が大きいのと、チーム人数が少なくならざるを得ない(就労人数が少ないため)というのが大きな要因ではないかなと思っている。

問題は、なぜそのような国になっていったかということである。

北欧の一番大きな意思決定
僕らと彼らの一番の大きな違いは、国家として「人口を増やし国力を強めることをあきらめたこと」にあると思う。
もちろん彼らも人口を増やすために移民受け入れに積極的かもしれないが、国としての戦略は、少ない人口と緩やかな人口成長率をもとにすべてが設計されていると思う。

僕たち日本人の生きている(た)世界は間違いなく資本主義・社会主義の枠組みを超えた「量=サイズ」の価値観が強く根底にあると思う。
現に第二次世界大戦後、世界を二分したのは莫大なマーケットサイズを誇るソ連アメリカだった。そして私たち日本も狭い国土にもかかわらず第二の経済大国として育つに至った。これはすべて、サイズの勝負であり、一人当たりの話は一度も出てきていない。だが、我々にはこの戦後の高度経済成長期の成功体験が痛々しいほど明確にDNAに刻み付けられており、量(サイズ)を追うようにできている。量を追うための手法として国家が先導する社会主義と各自の競争が先導する資本主義があるわけだが、どのみちサイズを大きくする一番の根源は人口である。中国を見てほしい。手法は後からついてきた。たぶんインドもそうだ。人というガソリンがあれば、あとはどうタービンをうまく回す仕組みを作るかということなのだ。かくいう日本も戦後は人口が米国、中国、ロシアに次いで多い国となっていた。
こと「教育」という分野において、僕たちは強く競争し、エリートになることを基本的に目指しながら努力をする。そして何かしら世の中を変えてやろうと思うわけである。大企業で出世することも、スタートアップで産業革命を起こすことも基本的にはサイズを追う行動であることに変わりはない。

さて、人が増えない、人を増やす競争にはもう勝てないと早々に悟った国がいくつかある。それが北欧なのだと思う。
北海道の人口を東京の二倍にしてください。お金はいくら使ってもいいから。と言われても絶対増えないと思う。北欧の人たちが、冬にどれだけ外に出ないか舐めていると思う。
寒い地域はそれだけで人を多くかくまうことに難しさが生まれる。食料の確保コストは圧倒的に高いし、住居、衣服にも温暖な地域に比べれば数倍の社会・個人コストがかかる。
そもそもたくさんの人たちが住んで人口をバンバン増やしてサイズを大きくしていくことには相当のビハインドがあるのだ。

だからこそ、彼らは少ない人数で大国と勝負するために、サイズではなくクオリティを重んじていったのだと思う。

何故北欧は自然が豊かなのか?
彼らの当時の戦略はわからないが、結果としていわゆる普通の先進国が経済的なサイズを追いかけて失ったものに自然がある。
人が増えれば、自然は壊れるのだ。それが意図的であろうが、なかろうが。そして気づいたときには遅いのだ。何故なら時に自然破壊は科学的に証明ができていなかったものもあるからである。例えば、昔のペットブームで輸入されたミシシッピアカミミガメが日本の生態系を大きく壊しているが、誰がそれを当時国家レベルで指摘できただろうか?
世が世なら、ペットブームの立役者が「イノベーティブでトレンディーな経営者」としてもてはやされていたのではないか?
サイズを追う価値観は、時にその波及効果を軽視する特徴があると思う。そうでなければ、今の中国の大気汚染は起こりようがない。今の日本ではcontrovercialなトピックになっているけど。

価値観の違い
僕はもうサイズの価値観で生きてしまっているから、北欧の価値観を推定しているだけだが、何となく違う価値観が根底に流れている気がする。そして、それはカルチャーギャップや国ごとのギャップという小さなものでなく、サイズ対クオリティというもっと根本の価値観だと思うのだ。
でもこの反対の姿勢は実はとても大切で、「破壊的イノベーション」に賛同するばかりでなく、そのクオリティ面での波及効果と変化の影響を懸念することはとても大切だし、そのイノベーションの本質をマクロとミクロで多角的にとらえるべきだと思う。

インターネット広告が世に現れた時、みなが両手を挙げて破壊的イノベーションだと感じた。
無限の広告枠、圧倒的に低い露出単価、高度なターゲティングをはじめとした効率的な広告提供、精密な効果検証。
しかし、その実、バナー広告の半分がみられていないと、本丸のGoogleが発表したのは2012年のことだった。
サイズに縛られていたからこそ、それまで何年間も両手をあげて売り上げと表面的な数値を追いかけて一喜一憂していたのだ。

私たち日本人は、サイズだけを追う価値観から脱却せざるを得ない立場にいると思う。一番の不幸はクオリティを追いかけるべきアセットサイズで、まだサイズを追いかけようとすることではなかろうか。

「東芝の悲劇」を読んだ

東芝の悲劇を読んだ。


東芝は三菱、日立の競合企業に対して、「公家」と呼ばれるほど非常に品が良く、公明正大性のある企業だったそうだ。その東芝が考えられないような不正会計や、ありえないプレミアムを載せた企業買収にどうして走ったのかがこの本にはつぶさに書かれている。

この本の面白い点は、東芝のガバナンスが崩れていった理由が、「公家の中に放り込まれた野武士たちが権力を持ったこと」として書かれている点である。
野武士達は、自分たちが権力を持った際に、自分が御しやすい人間を下に置いていく。それだけなら問題がなかったのだが、野武士同士の対立が始まった瞬間に、非常に高いコンプライアンス意識を持つはずである公家組織が瞬時に犯罪組織に近い低ガバナンス組織に姿を変える。

所謂真面目な集団と低い組織コンプライアンスは独立の概念であり、両者は同じ組織で成立するのだ。

ニュースやスキャンダルを本で追う意味
単純にこのニュースを情報として追いたいのであれば、ウェブで情報を集めればいいと思う。しかしながら、それでは、表面的な情報を偏った形で吸収してしまうことにほかならない。
ウェブで情報を集めるよりは遥かに体系的で深い知識を得ることが出来るのも、本という媒体でこのトピックを吸収したときの良さだと思う。ニュースに比べ、一つの情報を深く追える分、より普遍的な法則や事実に気づきやすいのも本で追う利点だと思う。

目的意識が大切
このようなドキュメンタリー形式の本を読む際には目的意識をちゃんと設定することが大事だと思っている。これによって得られる表面的な知識は、一般的なビジネス書よりも汎用性の低いものだと思っている。しかしながら、これは現実に起こったことであり、(バイアスが入って書かれている本では有るが)まぁあとはこのような本に出てくる人はかなり優秀なビジネスマンであるはずで、彼らがどのような成功体験をどのようなキャリアで収め、そして最後どのように失敗したのかということを知っておくのは個人として悪い勉強ではない。

最高の英語学習教材を見つけたかもしれない

さて、ロンドンに来て、そろそろ1年半が経った。
英語力であるが、スピーキングを筆頭に相変わらずポンコツ感は拭えない。
英語力を補うべく、他の専門性でカバーしているのであるが、やはりベーススキルである英語があればと悔しいときが多い。
まず、第一言語である日本語を抱えていることが実は英語学習にはかなりのビハインドであるのだが、この度我々日本人にぴったりの英語学習教材を見つけた。









これである。

The Witcher III Wild Hunt (輸入版:北米) - PS4 - PS3

The Witcher III Wild Hunt (輸入版:北米) - PS4 - PS3


ふざけてんのか、1分読んだ時間返せという方、落ち着いて欲しい。
そして、amazonのリンクを見て欲しい。

これはwitcher3の北米版である。そう、日本語の字幕も吹き替えもない。
英語しか使えないゲームなのである。何故これが英語の学習(リーディングとリスニング)に有効なのか?


日本人特有の英語への壁
こと日本人において、英語学習を一番妨げているのは「イエス」「ノー」「イヤー」だけで乗り切ることだと思う。かくいう僕も最多安打を放ったイチローを月間で越えるペースでこのキラーワードを頻用してきた。悲しいかな我々空気を読むことを課せられた民族は「わからないことをわからない」ということが出来ない。もっと言うと、いい塩梅でわからないと言えない。(ガチでわからないところをわからないと言うと、もうきりがなかったりする。)

この「わかったふり症候群」は英語学習における様々な事象に波及する。映画や本の流し読みでも「分かった気になる症候群」が起こるのである。英語で映画や本を読むと、日本語に比べれば、勿論その疲労感は比べ物にならない。
いや、実際欧米人も結構曖昧な理解で分かった気になっているじゃない、という意見もあろう。その通り、彼らも物凄く細かく理解しているわけではないが、ツボはおさえているのである。一方日本人、ものすごいディティールを抑えているかと思いきや、肝心のツボは外していたりする。

ツボをサッと理解する
言語におけるリーディングとリスニングで重要なのは、このツボをサッと理解できる能力なのだと思う。残念ながら映画や小説ではこれが身につかないと思っている。小説はまず結構ハードルが高い。ずーっと続けるのはそれなりに辛いだろう。一方で映画は2時間我慢すれば終わるのである。そして、紙芝居的に、何があったかを理解したら、理解した気になるのである。

一方、ゲームはツボを理解していないと死ぬ。

そう、攻撃しちゃいけない人を攻撃したり、探せと言われている家から勝手に離れたり、「ツボを理解していない人間は詰む」仕様なのだ。異言語サバイバル力と言ってもいい。

更にwitcher3は文字数、言語コミュニケーションの数で言っても群を抜いている。更に自由度が高く、フィールド上を自由過ぎるほど歩き回れる。即ち、「お膳立て一切なし」「スクロールなし」何時間たっても、ツボを理解しなければ進まないのだ。マリオのように取り敢えず右行くゲームなら言語の壁は超えられよう。しかし、witcherでは、ほんの小さな聞き漏らし、読み漏らしがもう二度とアイテムが取れなくなる大事故を起こす原因に成るのだ。ミニゲームで結構凝ったカードゲームが出てきたときは発狂しそうになった。

最初は辛い。ロンドンの景色に似た暗い曇りの片田舎を白髪ロン毛のおっさんが馬でパカパカ走るだけのゲームである。基本的にwitcherは嫌われており、街では"Get out" "Go away"など普段英語で言われたら少し心が病むようなワードをバンバン言われる。


だが、きっとwitcherをクリアするころには、きっとあなたも英語でサッとツボをつかむリーディングとリスニングのテクニックを手に入れているはずである。

というわけで、今積みゲーになりかけてるので、僕も頑張ります。

「大企業」は何故ダサいと言われるようになったか

若い人からのネガティブイメージ
ここ最近、学生と話してみると、自分の会社のブランドがあまり高く評価されていないことに気づく。正直学生時代は、自分の会社のことをショッカー的な悪の巣窟だと認識していたので(何故受けたのかも覚えていない)、そこに全く違和感はないが、所謂優秀な学生が自分の会社に対して抱くネガティブイメージが今までと違う方向に少しずつ変化している気がする。若い人特有に何かに対して抱くネガティブイメージには2種類あると思っている。一つは経験の浅さからくる知らない刺激物への嫌悪感。これはどうにかなると思っている。一時的な刺激に嫌悪感を示しても、本質的な価値に気付ければ、むしろいいものとして認識できると思う。もう一方が「彼らのほうが」本質的な筋の悪さや思考の浅さを感じ、性的に無理というレベルで嫌悪感を感じる場合である。それは、むしろ会社側、社員側が一度自分を見直す必要があると思っている。


パラダイムでのイメージ
一昔前は激務であるとか、体育会系であるということに危機感を持つ学生が多かった。それは私も例に漏れず、学生最後の3月は消えてしまいたくなるレベルで働くのが嫌だった。あの時、ブラジルに連れて行ってくれた友人たち、ありがとう。そういう意味では、非常に表面的なネガティブ要因であったからこそ、助かっていた部分があると思う。

うちの会社は本質的には組織体系の整った会社ではなく、個人の突破力で突き進む会社だと思っている。そういう意味では、本質的に「体育会系」かどうかはクエスチョンマークがつくし、下克上上等、パフォーマンス主義がある程度実現されていたと思う。

その昔のネガと今のネガを混ぜてはいけない。今のネガはよっぽど本質的だと思っている。それこそ、学生の浅いイメージという一言で済ませられないと個人的には危機感を抱いている。


大企業はダサい?
少し学生に話を聞いていくと、ウチの会社以外に考えているのはベンチャーだったり、起業だったり、コンサルティング会社だったりする。所謂日本の大企業がまとめて一括りで「ダサい」と言われている感を感じる。勿論、こんなブログを描いている事自体がダサいといえばダサいのだが、そこには国内に限らない大企業のジレンマがあるなぁと感じていた。


大企業は個性だった
1950年から2000年までの経営戦略において「規模」はかなり優位性のあるアドバンテージだった。規模によって効果的なブランドイメージと効率的な調達コストを実現する。正に「規模」自体が、ユニークネスだった時代がそこにあった。規模を大きくする際に大切なのは「replicate出来る仕事」を作ることだった。必要要件を満たした人間が、一定期間を教育を受ければ、実現できる仕事。それこそが更なる規模をもたらした。○○で一番、××が出来る仕事。そんな個性が規模を大きくするだけで、実現されていった。

ScalabilityとUniqueness
ただし、それは競争産業、及びマーケットが固定されているという前提の元だった。デジタル化が進み、様々な産業でDisruptionが進むと、規模だけが全てではなくなる。規模は標準化を生み、その標準化は一度競争の定義が変わると一気に弱みと化す。シリコンバレーで生まれ、今や大企業と言われる企業と日本企業の違いを一言で言えば、ユニークネスを以って規模を拡大しようとしているのか、規模によってユニークネスを維持しようとしているのかである。その後者の会社であることに、今の学生が嫌悪感を抱いているのではないかと、危機感を強く感じるのである。


自分より若い人間を馬鹿にしない
優秀な学生というのは、大概、優秀な批評家であり、優秀なサバイバーであるので、「世の中のトレンドを掴みながらも、自分が大衆とどう差別化するのか」というのをよく考えている。僕は個人的に今の学生のほうが自分よりもよっぽど賢いと思っている。だからこそ、彼らの意見はとても参考になる。


少なくともまだうちの会社には、上記の話を本能的に理解した上で、ユニークネスを鍛えようとしている人がすくなからずいる。その経験は絶対何処の会社でも生きるはずだし、僕の理想である「どこの会社でも通用する人間がまだそこで頑張る理由のある会社」なのだと思っている。

学生に出会って、何が自分の会社を唯一無二の会社にする可能性があるのか、もう一度自分で納得できる理由と未来を考えてみたいと強く思った。

The beginning of 2018 - what I am thinking

After very condensed Japanese trip, I started to work on 3rd January.
Today, I have 5 hours session about my top priority project.Just to record my thoughts, I articulate my learning in 2017 and actions in 2018.

LEARNING

  • Figure out where we are and where we go before get cracking on.
  • Ask what you can't know after googling it.

ACTIONS
STOP

  • Complete something by myself.Don't be perfect.

START

  • Start to think long-term and short-term balance.
  • Make my proposition accurate. I should be the data guy who is not difficult to monetise from advertising agency perspective.
  • Always aim to blue ocean. But need to figure out there is accurate market demand.

KEEP

  • Be flexible for new environment, new methods and new organisation.
  • Be independent but cooperative.
  • Be Agile.Fail quickly. Create a bunch of shit. But it is alright if I recover from that quickly.


I will write them in more detail in Japanese as well by the end of month.(hopefully)