足ることを知らず

Data Science, global business, management and MBA

I'm doing what I really wanna work on!!

あれは1年と少し前だったと思う。

データ領域に代理店の分析官として従事しながら、クライアント様のデジタルトランスフォーメーションをお手伝いしたり、PDCAをお手伝いしていた時だった。それらの経験が本当に素晴らしい学びになっていたのも事実だったが、進んでいくテクノロジーに対して明らかな技術面でのインプット不足を感じていた。自分の狭いデジタルの知識はいつか枯渇するのではないかとうっすら感じ始めていた。
色んな先輩に慣れないプログラミングを習いながらも自分の優先順位の1位であった英語に割く時間を確保するために技術面のキャッチアップをないがしろにした。

それから1年半、先日GoogleのData EngineerのCertificationを取った。
Google Certified Professional - Data Engineer
大した資格ではないかもしれない。
ぶっちゃけ詰め込みで取ったようなものだ。
それでも、何か大きな感慨があった。

今でも覚えている。日本を発つ直前の局会で、「データやるんならAWSの製品群がそれぞれ何をするのかくらい把握しておかないとやばいぞ」と発表していた自分がそれをよくわかっていなくて、ひとり危機感を感じていた。その可能性と危険性は分かっているのに何も前に進んでいない無力感だけが残っていた。そんな張子の虎を自己認識していた状態が一年前だった。

今のままではダメなのに今のままじゃない状態をどう作ればいいかわからない。

門外漢にも関わらず、クラウドに興味を持ち始めたのはほんの些細なきっかけだった。
当時というか今も常に他の会社の採用情報は絶対に集めている。後輩にも自分にも毎年レジュメを見返せと話している。そんな活動の一環で、某戦略・ITコンサルティングの採用セミナーで「今我々のRFPクラウドの文字がないケースはありえない。」と聞いた時に、広告領域のオフラインとオンラインを思い出した。案の定そのコンサルタントは「クラウドとオンプレミス、アジャイルとウォータフォールのハイブリッド」というどこかの業界で聞いたことのある言葉を発していた。駆逐されないかもしれないが、間違いなくクラウドはこれから既存のルールをぶち壊す。そしてついていけない人間と引っ張る人間に二分化される分野になる。という可能性と危機感を同時に感じたのである。何故なら広告の世界でも全く同じことが起きていたから。

一方でそれをキャッチアップする気力が当時の自分にはなかった。だから、この1年でここまでGoogleクラウドを触る仕事につけて、且つ資格まで取れたことは幸運としか言いようがない。1年前の自分が危機感を感じていて、間に合わなくなるかもしれないと思っていた領域に足を踏み入れられた幸せは殊の外大きかった。

後輩にも同じことを言うと思うが、クラウドをちゃんとオプティマイズのレベルまで理解している必要性は次の3つの理由に濃縮されていると思う。
AmazonGoogleMicrosoftの3社がインフラ提供者として競争し始めたクラウドはこれからが本番だと思っている。更にそこに追随する、付加価値を高める企業も含めて、デジタル広告の黎明期の構造変化とほぼ同じ道を辿っている。
・旧来のシステムSIerの価値は揺るがないが、それは旧来のルールを知りながら新しいルールをキャッチアップすることが前提である。誰でも簡単にシステム構築出来る時代が本当に来ていることが2つ目。(これも誰でも簡単に広告出稿出来る、と同じ)更にシステムは広告で言う生活者のような第三評価者を挟まないことにより、予算シフトが広告よりも進みやすい。
GoogleAmazonAPI及びプロダクトを見ていると、機械学習人工知能はデータサイエンス最適化よりもエンジニアリング最適化の勝負になりつつあること。

勿論、AWSは正直全然わからないし、カンファレンスに行って生の情報を集めている人に比べればうんこのような知識量かもしれない。だけど、少なくとも1年前の自分から比べれば飛躍的な知識の成長とその成長の方向性は間違いなく1年前の自分が思い描いたものだった。

その幸せを噛み締めながら今度はAWS勉強しようと思います。
Azureが一番優先度高いのが本音ですが。

なんだかクラウド三国志とかいう同人誌書きたくなってくるよね!

グローバルビジネスという言葉の真意

グローバル、グローバルというけれど
1年、グローバル企業のヘッドクォーターでの業務を経験して、一番自分に身に着いた意識は「何ををどのUnit単位で共通化するか」という一点に尽きる。逆に共通化していない部分は、Customizationの走るところとなり、ローカルが裁量権を以って進める部分となる。

この1年の総括も含めて、少し自分の所感を整理したいと思う。


グローバル企業で頻繁に出る言葉
グローバル企業では、"customization"の一方で"standardization"されていて、"differentiate"されているけど、"easy to replicate"といった言葉をよく聞く。勿論そんなものは簡単には作れない。
結局グローバルビジネスの肝は、標準化と部分適応のtrade offの中でどうやってバランスを取るかにかかっている。どこまで各国の環境の違いを考慮するか、全世界で何を統一したものとして提供するのか。この命題に応えていくために「グローバルでの統一水準/規格」を定義するのがグローバルヘッドクォーターの重要なロールのひとつになっていると思う。


グローバル戦略とは何なのか?
グローバル戦略とは、各国で抱えているリソース及び各国の競争環境をひっくるめて、もう一度資源の再配分を目的に際して行うことである。即ち世界中のリソースを考慮し、世界中のビジネス・プロセスを考慮し、世界中のプロジェクト目標及び目的を設定しなければならない。依ってある程度の抽象化をしなければならないことは自明である。加えて、ローカルにすすめてもらう部分を明確に定義しなければならない。グローバル戦略とローカル戦術の切れ目をある程度明確にしない限り、お互いの裁量範囲を切ることが出来ないからである。即ち各ローカルで行われる部分適応を視野に入れた標準化を行う、これがグローバルヘッドクォータの役割だと考えている。

そもそも巨大な企業は「標準化」されていくべきである
そもそも巨大な企業で標準化/平準化を行っていない企業は、解体された方が良い。標準化は必要コストを下げ、ビジネス規模を容易に拡大させる。一方で部分適応は逆の効用がある。唯一「部分適応」が強いことはflexibilityの一点に尽きる。何かしらの変化があった際に、素早く状況に適応する事ができる。

例えば10000匹のアリの集団がいたとしよう。巣を一つにして、ルールも標準化した方が確実に強い「組織」となる。一方1000匹のアリの巣10個を作っているところは恐らく前者に比べて組織として弱いが、全滅のリスクは軽減される。

基本的には、大規模な組織であればあるほど「標準化」を推し進めるべきなのである。それを嫌うのであれば解体されたほうが良い。ただし、これには例外があって、標準化された「サービス」や「商品」、「ルール」が「正しい」という大前提がある。

例えば、初期のiPhoneを考えてみよう。製品ラインをもっと増やすことによって、国別に最適なブランドが売れたかもしれない。リスクヘッジにもなったかもしれない。だが、スティーブジョブスがやったことは、一切の「Localization」を許さず、統一された製品を売った。「グローバルで標準化された最高の製品」を目指したのだ。

だが、全てのサービス、ビジネスで「標準化された最高」を目指せるわけではないし、その最高が維持できる期間もどんどん短くなっているのが現実である。それはiPhoneが廉価版を出すなど製品ラインを増やしたことでもわかる。


グローバルVSローカルは海外ビジネスに限らない。
この標準化と部分適応のバランスはグローバルビジネスに限らない。その対象Unitを変えれば、簡単に国内の課題に化ける。
例えば、クライアント別にオーダーメイドのサービスを提供すべきか?それともある程度の標準化を行うべきか?
日本の中でも都市部と地方部で同じマーケティング施策を行うべきか?それとも各々異なる施策を行うべきか?

少し話をまとめると、ある集団は全て均一であるという立場に立って行われるのが「標準化」であり、各コミュニティ/集団にはそれぞれgapが存在し、それ毎に適応しなければならないというのが「部分適応」である。
だから、グローバル戦略というのは、論点が、各国のカルチャー、生活習慣、法規制やビジネス環境の違いになる。実はどのコミュニティでも向き合っている本質的な課題は変わらないと思っている。

キングダムに例えて考えてみよう
漫画キングダムの中で、秦は間違いなくグローバライゼーションを行おうとしている国である。そして、李牧率いる趙はローカライゼーション派である。
秦の皇帝政はバラバラの中国各国家を「法による統治」でひとつにしようとしている。グローバライゼーションの前提は何か?ということが分かってくる。グローバライゼーション、標準化の大前提は「明文化された(誰にでもわかる)ルール」である。多様な文化、コンテクストが全て異なることを認めた上で、明文化されたDisciplineまとめにいくのである。強いグローバルカンパニーはこの「明文化されたルール」が、かなりのレベルで練られており、且つ組織に対して、軍隊に近い効力を発揮する。これが崩れるとグローバルカンパニーである意義を失うからだ。

ダラダラ書いてみたが、アメリカという国はこのDisciplineで異なる各国をまとめるのが得意な国だと思う。多様な国の人間が集まる点、連邦と州の構成等、そもそもの国家がそういう成り立ちになっている。だから部分適応ではなく標準化の方に思い切り傾いていることが多い。
欧州は少しそれとは色が異なる。各市場に合わせてサービス、製品を提供しようとする傾向が強い。実効支配にこだわらない。

あと2年後には全然違うことを書いているかもしれないけど、今思っていることを備忘録として書いてみた。

AI論争はどこへいくのか

Mckinseyから下記リンクのレポートが出た。
How artificial intelligence can deliver real value to companies | McKinsey

リンク先のレポートもなかなか読み応えがあって面白いので、是非読んでほしい。

業界別にAIの投資や将来機会、レベル格付け等を行っているのだが、面白い点としては、このレポートが出ること自体が、これまでのAI論争と異なり、実質的なビジネスインパクトが生まれている証拠だと思う。
これはレポート内にも経緯が書かれているが、結局インフラパワーが理論的な要求を十分満たすことになったのが一番大きい。

まだはやりAIという言葉のDefinitionをうまくとらえて、定量的に整理することはかなり難しいのだろうなと感じた。

例えば、AIの技術要素を下記の6つに分けているが、勿論重複しまくっているし、MECE感はない。
自然言語処理
・自動運転
・スマートロボティクス
バーチャルエージェント
・コンピュータービジョン
機械学習


業界別では、先進業界には何の意外性もないのだが、後進とされている業界が明らかに破壊的な影響を受けそうなところで、意外だった。
教育、ヘルスケア、金融なのだが、これは業界としては後進だとしても、業界内の先進企業と後進企業で大きな利益格差が生じると示唆されている。

我々のいるメディア業界は、注目度は高いものの、ぶっちゃけ団子にならざるをえないと思う。というのも、誰がGoogle, Facebookがつばを付けている領域以外で「メディアならではのAIの活用」をリードできるのだろうか。我々はGoogleFacebookをビジネスパートナーにしていた分、AIに注目するのはとても早かったし、活用に関してもアイディアを出したが、まだ何一つとして圧倒的な実績を残したもの・利益を作り出したものは、先述の2社以外いない。

一方で、エージェンシーの労働集約型のモデルはまさにAIにとって、本来一番手を入れやすいところである。ただ、デジタルエージェンシーがここ数年やってきたこととはそのルールを複雑化/サイロ化させ、AIのレバレッジを弱める若しくは広告主に弱く見せかけることではなかったのか?戦略なき戦術が横行していたようにも感じる。細かく細かくPDCAを回して、一体いくらのOutcomeがあったのだろうか。

そして、このPDCAをAIなら簡単に回せるという風潮もあるが、大反対である。デジタルですべて商習慣が完結するビジネスなら良い。だが、そうでない場合、すなわち「データが完全ではない場合」は、AIが得意とする領域ではない可能性が高い。アルファ碁は、完全情報ゲームは勝てるかもしれないが、不完全情報ゲームでは、アベレージを残すだけで終わるだろう。

重要なのは、産業別の業務及び付加価値の中で、何がAIに任せられることなのかを現在と未来に分けて正しく理解することである。広がっていく領域だからその整理は容易ではないがどうも整理の前に走り出す傾向が見受けられる。その先に待っているのは総花の投資だ。選択と集中が実は一番大切な領域なのである。

次の時代は、もう一度AIの可能性を再定義する時代になると思っている。再定義して、正しい方向に投資をし、利潤を得なければ次の投資が出来ない、そのサイクルが正に始まろうとしているのではないだろうか。

日本と英国の組織に関する所感【追記しました】

個人と組織
ここ数日は会社の経営層とお話する機会が多く、表題のテーマについて話すことが多かったのだが、自分の中で野球に例えて話すと、なるほどその傾向はあるかもね、と納得してもらえることが多かった。

例え話の効用
話は脱線するが、このように例え話で話すことによって、自分の考えも整理されるだけでなく、異なる視点で自分の意見を捉え直す事ができる。例え話をしている間に、より多角的な解釈を出来たことは疑いようがない。



日本と英国の違い
さて、端的に言えば、日本的組織というのは圧倒的に個に依存していて、英国的組織は個への依存を避ける傾向にあるというのがこの記事の骨子である。

待て、日本が集団主義であって海外のほうが個人主義だろう、と思うかもしれないが、そもそもの個人主義を単純に「自分の業務範囲しかやらない姿勢」と捉えていないだろうか。であれば、そのとおりなのだが、以下で述べる通り、少しその定義は異なると思っている。

日本的組織と英国的組織

では野球に例えるとどんな違いがあるのだろうか?

・組織づくり
(日本)モチベーションのある者、若しくはエースプレーヤーがボトムアップでチームを作る。同じポジションの人間(職能)ばかりが集まることも多い。チームの勝とうという目的のための目標設定よりも、個人の「どうやったら球が速く投げられるか」という目標を何故か全員で議論する傾向がある。気づけば全員が球を速くしようと努力している様が見受けられる。

(英国)必要なパーツを監督が洗い出すところから始まる。現状のリソースからベストエフォートで、ポジションをはめていく。経験者がいなければ外から連れてくることも厭わない。勝つという目的に沿って、組織としての目標設定を個人に落とし込んでいく。ただし、ディティールを知っているとは限らないので、「セカンドは別に守備力いらない、打力である」といった眉唾話をそのまま受け入れがちである。仕方がないやったことがないのにやったことがあるように話す人が多いのだ。

要するに組織づくりが非常にファンクショナルに整理されているのが英国で、個人の必要要件が異様に整理され検証されているのが日本だと感じている。(勿論各国ボロボロな組織もあるとは思うが傾向的に)

また、因果関係は別として、日本の場合は選手交代をフレキシブルに出来ない(雇用期間が長い)文化も役能別の組織作りにマイナスに働いている気がする。

・プレーヤーの動き方
(日本)そもそも同じポジションを二人で守っていることはザラ、その場合不易な競争が始まる。セカンド激戦区なのにセンターいないんですが大丈夫ですか?いえいえ大丈夫。セカンドがセンターを守ればいい。そんな指示が飛んできます。とにかくボールがこぼれないように皆が守備範囲を曖昧にしつつ飛びつく、飛び込む。がむしゃらにボールを追う、それ自体が評価されるし、かっこいい。組織としての強さは皆無だが、うまくいく場合というのはありえないくらい優秀なピッチャーキャッチャーが全部三振にしている場合が多い。日本での仕事を頑張っていると、どこの守備位置でもそこそこ守れる人間が出来上がる。(総合職制度の極みである)


(英国)センターはセンター、ライトはライト。ただし、その境界にボールが落ちることは極めて多い。だが、守る方からしてみると、日本にいたころはセンターなのにファーストまで走ってキャッチしろと言われていたので、相当ラクである。そもそもセンターの技能をきっちり上げることができる。ただし、ライトのボールは絶対取らねぇ。ライトのボール取るくらいなら帰る。明確にライトがこちらに依頼してきたときには勿論手伝うが、その際にはライトへのgive and takeをきっちりと考慮したい。どのポジションにも過度に期待することがなく、組織としての完成度を求めている。

このときに問題になるのは、実際のビジネスは野球のようにルールがロバストではないし、個人の守る範囲も特定出来ないということだ。球場が日に日に広がっていく、土の質も変わる、球の大きさも変わるかもしれない。
その場合には個人の突破力や適応力に頼った組織の方が強いという見方もあるかもしれない。


個人への評価
加えて、その組織の在り方だけでなく、個人評価に関しても、試合に勝敗ではなく個人の頑張りや個人の踏ん張りが評価されるのか、勝敗がまずありきでその上に必勝必罰があるのか等の違いがあると感じている。要するに英国では勝てばすべからく皆褒められるし、負ければ吊し上げを食うが、それは誰かではなくチーム全体であり、結果上が責任を取ることになる。比較して日本の場合、現場が責任を取ることがあまりに多くないだろうか。

それも「個人の頑張り次第で成功が決する」という古来の価値観による。会社として従業員を信頼していると言えば聞こえはいいが、信頼していると同時に互いに甘えているようにも見えるのである。一方で、海外の会社においては「個人の配置が成功に占める割合」はとても多く見積もられていると感じる。

このような違いが結果的には個人戦術に重きを置くのか、組織戦略で動くのかに反映されるのだろう。ただ、ルールが激動する今の時代においては、Flexibilityに欠ける組織戦略では限界があり、確実に個の意志やエネルギーを前提とした「領域を超えた変化」が必要である。ただし、これは領域がきっちりと規定されている前提で期待されるべきなのだと思う。

                                • 下記追記----------------

言うまでもなく、日本の政治体制はイギリスをモデルにしているのだけど、面白いのは元来個人主義の固まりのようなイギリス人が制度としては「党」を第一として、すべてが党の粒度で決定されていくのに対し、日本は元来集団主義であるゆえに意外にボトムアップで物事が動いていくところだと思う。

やっぱり日本の根幹は官僚主義にあって、一人一人のプレーヤーのポテンシャルに期待するっていうのはそこから始まっているのかもね。

AIの過剰評価と過小評価

一昔前のDMP(Data Management Platform)もそうだが、特にこの業界においては「よくわからんがすごい(と言われる)もの」に関しては基本的に過剰評価と過小評価が入り乱れ、実質何が出来るかということを把握できている人間はとても少ないように思う。

その筆頭がAIだと思う。先日、コピーライティングをするAIや広告運用を自動化するAIが出た。双方とも、未来の広告業界をよくするためのとても大きな一歩だと思う。
ただ、AIの定義すらきっちりと把握していない人が、AI、AIすげーすげー、人間いらないじゃんと叫んでいるのを目にして、ちょっと食傷気味です。私。


下記リンクにあるようにAIはMachine learningとか、NLPとか色んなジャンルを全部含んだいわば「集合体ワード」なのだ。
https://www.codeproject.com/KB/AI/1182210/Def.png

この集合体ワードがバズること自体がとても気持ち悪い。例えば、Deep Learningの中のConvoluitional DNNでGPUを上手く使った事例が出たのが、何故か「AIはGPUで飛躍的な進化を遂げる!」となる。
これ、「台湾旅行のおすすめは九份!」が「九份で旅行の楽しさ倍増」くらい気持ち悪い。意味分からない。

この領域のめんどくさいところは、実質何が起こっているかを突き詰めるのはほぼ不可能に近い。だからそこは学ぶ必要はないが、せめて実質的なOutcomeに関してはシビアに判断する目を持って欲しい。AIが何が出来て、何が出来ないのか。もっというとAIの中でも何に分類される技術を使っているのかくらいは確かめる姿勢を持って欲しいのだ。ビジネス側の人に。

原理的な理解はもうプロにも不可能な領域に来ていると思う。というか厳密な理解をそもそも必要としていないことのほうが多い気がする。もう最新の機械学習アルゴに関しては、内側で何が実際に起こっているのかをきっちり検証、解釈することは不可能に近い。学問的な視野よりも実用的な視野が強くなっている気がする。要するにデータサイエンスは少しエンジニアリング領域に寄っていっている気がするのだ。(これは100%主観です)

一方で、AI大したことないですとか言っちゃうと本当に過小評価をしてくるのもこの領域の特徴である。特にCPUのパワーが足りなかった一昔まえのAIブームの際は全く同じことが起こったのだと思う。「あれ?おもったよりしょぼいじゃん?」という感じ。

今はマシンパワーが追いついてきたこともあって、しょぼい場合は目的設定とか人間側のスキーム設定が単純にしょぼいことが多い。

これまで人の手だとえぐいくらいの工数がかかっていたことが、高精度で分類、判別出来るようになったのも事実だし、そのソースになるデータが山ほど手に入るようになったのも事実なのである。

んじゃAI活用企業っていうのがどんなことしてるのか、っていうのをちゃんと見極める最低限のリテラシーが必要だよねってだけなんだけど、なかなか難しい。

What actually it is?っていうのをちゃんと自分の知識レベルで見極めることの大切さを知った1週間でした。

うまいジントニックを作るための備忘録


ジンをストレートで飲むのも良いけど、そもそも80%くらいがジントニックにされて消費されてるお酒である。
ジントニックにしよう。

準備
・グラスをキンキンに冷やす。
・氷は軟水。
トニックウォーターは甘すぎないものを選ぼう。
・ライムはしぼりきってちょうどいいくらいに。

ジン
World Gin Awards 2016 - Winners
・ぶっちゃけ色々飲んだけど、結局juniperとか柑橘系とか味を決めている要素があまりに複雑な割に、その管理工程がsophisticatedされているわけではなく、ウィスキーやワインに比べるとそんなに掘れるものでもない。
・個人的にはトニックウォーターと氷にこだわったほうが良い気がする。

作り方
・分量とか適当でいいと思うけど、ちゃんと混ざることと炭酸が抜けないことを意識する。


因みにロンドンで一番マティーニがうまいと言われているのが下記だけど、ほとんどジンだと思いました。
Dukes Bar, London - St. James's - Restaurant Reviews, Phone Number & Photos - TripAdvisor

さわやかな気分でベロベロになりたいときはジンで決まりかも。
長深酒は赤ワイン、テンション上げたいときはウィスキー
翌日二日酔いで動きたくない時は日本酒。

チョット今年はどう飲むかとかこだわってみようかなー。

Next 6 months

もうすぐロンドンに来て、半年が経ちます。反省だらけの半年で、全然自分が思っていたよりもかっこいい結果は残せていないので、次の半年への誓いも込めて。

兎に角、この半年は会社人生7年で初めて、会社に行くのが辛いと思ったことがあるほど自分にとってはストレッチが出来る期間でした。会社には結構我儘を言って、来たので、理想とのギャップに8日連続くらいで悩んで吐いた時もアリます。でも体重は増えているというイギリスのカロリーにも悩みました。

勿論、自分の拙い英語力もあるのですが、あるタイミングから、本当にネイティブの集団のミーティングで、発言に恐怖を感じるようになり、振られても慌てるという事態が発生していました。録音をして聞き直してもまだまだ、ミーティングの内容が曖昧で、霧の中でボールを投げて的に当てるような難しさを感じていたのです。日本時代の私を知っている人であれば、知っていると思いますが、私は日本人の中でもトップクラスのおしゃべりです。話せないということは半端ではないストレスに繋がります。白髪もこの6ヶ月でありえないほど増えました。ボキャブラリーが増えるたびに、脳がパニックを起こすようでした。言いたいことが増えていき、それを表現する手段も増える、でも文法のルールと単語の持つ「細かいニュアンス」が少し違う。勿論発音もある。ケアするべきことが多すぎて、パニックを起こしていたと、今になっては思います。

後で意見を書いてしこしこキーマンに送るみたいなことを繰り返していたのですが、やはりワンテンポ遅れることもあり、チームへの貢献は「自分しか手が動かせない」部分に限られていたと感じます。

一時期本当に英語力に危機を感じ、現地の学校にも行きましたし、あらゆる日本語のインプット・アウトプットを遮るために日本語のタイプ機能をカットしたこともありました。

ただ、英語の問題よりも、態度・姿勢の悪循環のほうが強かったように思います。当初は6ヶ月の予定なので、兎に角早く、かっこいい成果を出さないと、と焦っていた節もありました。今は、もう少し自分の立ち位置やみんなの仕事の仕方も見えてきて、少しリラックスして、冷静になっていることが大きいのだと思います。また、日本と英国でのアサインメントの違いというのが、大きいとも感じました。

これは私の領域だけかもしれませんが、日本は実作業では自分の領域をガンガンはみ出します。実作業なので、手が動いているからです。逆にアドバイスや計画では自分の領域を超えて、無責任に発言することは悪徳と感じていました。英国ではこの点が全く逆だと感じています。ミーティング上では、自分の分野であろうがなかろうが、兎に角Contributionが求められますし、逆に実作業はびっくりするくらい各人領域を超えません。しっかりと自分の作業をこなしていると思います。どちらが良いということではありませんが、英国にいる自分がどちらに従うべきかは自明だと気づきました。

次の半年間、イギリス流に馴染みながら、とにかく楽しむことを第一優先に積極的に仕掛けることを優先して、仕事をしたいと思います。

習慣としては、日記のフォーマットを整え直して、英語で日記をつけはじめたことと、ジムで走るのをやめて本を読みながら自転車に切り替えました。欲張りな自分にはそちらのほうが合っている気がします。

社が大変な時期にこれだけ貴重な経験をさせていただいていることに感謝しながらも、必ずこの経験を日本でつながっている皆さんに何かしら還元できるよう、次の半年、自分を変えて臨む所存です。

2017年もよろしくお願いします。

近藤拝


It is already 6 months since I started to work in London. This 6 months was not ideal and cool one, but definitely it was fruitful for me. I'd like to articulate what I am thinking as my promise.

First of all, it's first time to get uncomfortable feeling about "working". I properly understand it is really good opportunity to grow up.I vomited plenty of times because I recognized huge gap between ideal performance and actual one.In spite of my lovely output from my mouth, I can't stop gaining my weight... That's mystery of England.

Of course, my poor English skill causes these difficulties.The biggest change was I have felt scary when I mention something in native meeting since approximately October.It was not clear what they discuss and what I should mention. I recorded some meetings, and confirmed meeting topics but details were still vague.
It's absolutely huge gap between what I did in London and what I had done in Japan.I am ridiculously talkative kind of person.So it is really painful to hesitate to mention what I feel.
I guess I got panic because I have to take care of a lot of things such as a pronanciation, grammer and meaning of words.

I sent the material or documents to the key person but it was not effective in terms of quickness of response and the speed of progress.The area of my contribution was really limited and I felt frustrated about this.

I was struggling with improving my English skill.So I tried to cut any Japanese input and output.I went to the language school as well.

But now, I recognize it's not only language issue.I should have taken care of attitude or style more.I got really upset because my secondment term was scheduled only 6 months.So I really wanna obtain successful achievement in just 6 months.But it is not easy even I work in Japanese environment.And I figure out the difference between Japan and UK.

I can communicate with my native colleague on more relaxed attitude now. And I promise I should be more proactive in plenty of fields and clarify where I am truly in charge of.

Next half year, I will do my best and be more proactive to everything.My journey restarts again just now.

Thank you for all Japanese colleagues and customers.
I have incredible experience here and I promise I would return these fruit to Japan someday.

Sincerely;
Cory