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Twitterを広告メディアと考えることは正しいのか。

肥大化するつぶやきメディア「Twitter」の正体(後編):日経ビジネスオンライン

情報の発信者と受信者をダイレクトにつなげ、情報の評価や加工、伝播といった、マスメディアが担ってきた作業すらも、同じツイッターというプラットフォームの中で行われている。

そこでは、ほとんど金銭の授受は発生していない。言い換えれば、メディアビジネスの究極の中抜きが、ツイッターというフラットで民主的な世界で、起きているのだ。

「中」とは、言うまでもなく、既存マスメディアを担うメディア企業。そして、その収益を支える広告主である。

では、既存のメディア産業に広告宣伝を委ねてきた企業は、新たな巨大メディアとどう付き合えばよいのだろうか。(文中敬称略)

確かにtwitterの盛り上がりは凄い。日本のtwitter(海外はそもそもどういう状態か知らない)は限られたセグメントの中で膨大な情報がやり取りされている。

でも、本当に企業のコミュニケーションツールとして有効なのだろうか。

記事でも取り上げられていたのが、紅白歌合戦中のこのつぶやき。

 「吹いたw」「これが最優秀歌唱w」「加ト吉に惚れましたww」「かときちの人気に嫉妬w」「あの流速の中で拾ってもらえるコメントをした中の人には特別報奨金を出しても良いと思うw」

 直後、100人以上が、絶賛のコメントとともに、コピーを張って他人につぶやきを広める「RT(リツイート)」をし、さらに末広のギャグを拡散させた。川中美幸、森進一と曲が進んでも、不意を突かれたユーザーたちの興奮は冷めやらない。

 末広は「粉雪を大雪にしてしまった」「カトキチは味に深みがございます」などとつぶやき、第2部でPerfume(パフューム)が登場した21時38分、二の矢を放った。


ここで、疑問に思うのは「Twitterでのコミュニケーション成功=フォロワー獲得」なのか?という点である。

コミュニケーションの目的が会社名の認知度向上のみならば、これは充分通用する話だと思う。ただ、ブランドイメージ向上であったり、会社のプレスリリースの場所としては不充分だ。

効果は「フォロワー数」では測れない
そもそも、企業のアカウントをフォローする人間の心理とTLの状況を考えなければならない。企業アカウントにフォローすることに対してそこまで抵抗のない人間はそもそもTLに企業の広告やtweetが溢れているだろう。twitterは競合のつぶやきだらけだ。次に、企業をフォローすることは少ないが何らかの理由でフォローをした場合、既に彼にとっての企業に対するブランドイメージは一定水準を超えているはずである。twitterで更にこのブランドイメージを上げることが出来るのか。簡易なtweetで、逆にブランドイメージを下げはしないのか。

そして、twitterでの競合は企業だけでない。個人アカウント、サークルのアカウント、様々なアカウントが限られたTLの認知を奪いあう壮絶なレッドオーシャンである。その中で、たった140文字以内で差をつけることは本当に可能なのだろうか。

明確に効果があるのは結局、個人による口コミ
現在、僕は企業の公式アカウントをフォローしていないが、フォロー人数が100人を超えたあたりでTLをカバー出来なくなってきた。今、企業の公式アカウントをフォローしても膨大なTLに埋もれるだろう。もっと沢山の人をフォローしている人は、既に情報の整理法を身に付けているかもしれない。即ちポストに入ってくるDMの様に「捨てまくっている」可能性があるのだ。


可能性があるのはRetweetである。DM自体をぶち込みまくるのだ。ポストを一杯にする程に。しかし、Retweet本質は口コミなのだ。Retweetされる条件は今盛んに議論されている通りである。この点で言えば、140文字で差をつけることは可能なのだろう。
しかし、Retweetが広がっている状況というのはあくまでスカラーの話で、ベクトルの部分まで保証するものではない。即ち、そのtweetが話題になっているのは確かだが、それが企業イメージにプラスに効いているかはわからないし、購買につながるかもわからない。
堀江さんや金融日記のヒトが「商品」のつぶやきをするのは充分な宣伝効果があるのに。結局、個人の「口コミ」感が損なわれては効果が出ないのである。

数によってtwitterは質に対する肥大したイメージを抱かせている
指をくわえて見ていることを最近は寄ってたかってバッシングする風潮がある。特にtwitterはそんな人で一杯だ。でも、本当に効果があるのか、考えてからやらないといけない。考えて、「やらない」のは英断だ。個人のブランドイメージと「公式アカウント」が持つ意味は全く異なる。失われたブランドは戻ってこない。コストがかからないと言われるが、膨大な時間と人材を投入しているところもあるだろう。模索しても結果が出ない可能性は充分あるのだ。

個人的な感想としては、生活者のツールとして及第点に昇ろうとしている段階で、これがどれだけ長く続くかも怪しいし、多分、広がり的には今の限られたセグメントを満たして終わる(広がらない)だろう。だから、まだ企業がメディアとして使えるとまで昇華させてはいけないレベルだと思う。