足ることを知らず

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Brexit狂想曲に見る日英のResponsibility観の違い

Brexitの終着点
相変わらず、グダグダのイギリスMPsですが、先日のVoteでとりあえずNo Dealだけは避けることができました。
www.bbc.co.uk

この中の画像を見てほしいんですが、まさかの全可能性がまたもや再発しているというとんでもない自体です。「もうBrexitやめときゃいいじゃん」という声も聞こえるのですが、それをしてしまうと、何百年続く民主主義への冒涜であるという声は相変わらず大きいわけです。では、再選挙は?またBrexitになったときのリスクを誰も取れないことと、民主主義で一度決定されたことを、もう一度国民に問うというのは、例えば権力者がほしい答えになるまで再投票をし続けるようなスキームも組めてしまうわけで、飛んだ茶番だと感じる人も多いわけです。

さて、本記事では、Brexitそのものではありません。それをLeadする立場にあるPrime MinisterのTheresa Mayに対する評価が、あまりに日英で異なるのです。

日本人目線=「我慢強い、力強いリーダー」
日本人のPMに対する評価は概してポジティブな気がしています。もともとAgainst Brexitだったにもかかわらず、BrexitのExecutionというとんでもないハズレクジを引かされながらも、明らかに弱体化したBritainの立場からEUと約束を取り付け、そのDealをもはや各議員のブランディングの場と化している議会に提示すれば、「Bad deal」として否決される。
胃が張り裂けそうな苦境に立たされながらも、PMは一切辞意を見せず、粛々とEUとUKの間を行き来して、Brexitの調整をしようとしています。
日本人は彼女のひたむきで、自分に与えられた課題をとにかくあきらめずにやりきるという点に力強いリーダーシップを感じるようです。

英国人目線=「平凡にもかかわらず立場にしがみつくリーダー」
英国人の中でもいくつか評価はあると思うのですが、PMに対する一般的な評価は結構ネガティブだなぁと感じることが多いです。そもそも、強力なリーダーシップがあるのであれば、今の議会のコントロールを失った状態はありえないというのが本旨なのだと思います。そして、彼女がやっていることは調整でも交渉でも何でもなく、EUとUKの言っていることを聞いてそのまま相手方に伝えているだけ、何の戦略性も創造性もないという意見があります。Brexitのようなただでさえ、Toughな状況を打開するには、彼女のような「粛々と物事を進めるタイプ」では何も前に進まないのです。もちろん、彼女が辞任した後に、じゃあ誰が代わりを務められるんだという話はあると思うのですが、それはさておき彼女が政権をとってから3年間近くの猶予があって、結果この体たらく(また再投票も含めてすべてのオプションがテーブルに上がっている状況)はなんなんだというわけです。


責任とはなんなのだろうか
私が英語教師に「PMは日本では評価はとても高いよ、とてもResponsibleな人だよねと言われている。」と話すと、英語教師は、「彼女はResponsibleから最も程遠い。その業務を遂行する能力がないと自他ともにわかりかけている状況で、そのリーダーの座を降りないというのはResponsibilityを果たしていない。」と返ってきました。

同じResponsibilityでもその果たすべき責任の定義が日英で若干異なり、ここまで異なる評価になっているのかなと感じます。
日本の場合、とにかく自前でやりきること、「責任転嫁」をしないことが重視され、苦境に立っても「逃げないこと」がリーダーとして評価されているのに対し、英国(もしくは英国の一部)では、ある一定の期間にきっちりと成果を出すことが責任であり、それができないのであれば自分のポジションを明け渡したほうがマシ、という考え方が強いのではないでしょうか。

確かに日本人のリーダー観の中には裏切り者や逃亡者をとにかく卑怯者として叩く風潮がありますし、苦境を耐え忍び、成長へ向かわせるリーダーの評価がとても高い気がします。(ウィンストン・チャーチルもそうじゃんって思うところもありますが)

最後に英語教師のイギリス人っぽいジョークで締めます。
「このBrexitの議論でイギリスの政治のポジティブな面も見えているの。それはとても透明性が高いってこと。一見、ものすごくChaoticに見えるでしょ?そう、実際にめちゃくちゃChaoticなのよ。」




How different Japanese and British people feel their responsibility?

Through the arguments about Brexit, I feel some differences about the definition of responsibility between UK and Japan.
Japanese people basically think Prime Minister(PM) as a responsible and strong leader because she never gives up to persuade the Prime Minister and EU. Additionally, she is still facing so many different headwind and difficulties however she doesn't seem to resign her role.
Her attitude seems to be very responsible for Japanese people because Japanese typical leaders easily resign their roles if some troubles happen.
On the other hand, British people think she clings to PM role. It's definitely apparent there has been no progress in Brexit conversation for these three years. With 36 months, the only thing we have decided is just to extend the deadline. My British friend said "She should have resigned much earlier. She could neither bring good Brexit deal and persuade the MPs. The responsibility of Prime Minister should be executing this deal within a certain limited project period. I don't think she has a clear plan and have any idea where to compromise. The one thing I feel confident about British politics is its very transparent now. It seems to be chaotic situation for people and actually very chaotic disaster."

So I think there is a critical difference between UK and JP about what the responsibility is.
Japanese tend to think responsibility is to finish or complete something without giving up. And it's not necessarily based on the results. However British people think the responsibility should be evaluated by the result. And staying in the position without any results means a kind of lack of responsibility.

クリエーティブ時代の経験が割と機械学習エンジニアとして活きてるよって話

今の私のロール

今、機械学習エンジニアとして、ロンドンのデジタルエージェンシーでクラウドコンピューティングを使ったプロダクト開発に従事してます。エンドユーザーは、グローバルに広がるトレーディングデスクチームです。正しく設計されていれば、一気にグローバルでキャッシュを生むことができるというのが一番大きなやりがいでしょうか。

 

データ領域の課題

まず私が働いているのはメディアエージェンシーなので、グローバルに広がる大規模なオペレーション部隊=人的リソースを持っています。また、その領域はサーチを含まないProgrammatic Adなので、かなり限定されていると言ってもいいです。また、cost-conciousなカルチャーのため、long-termの投資はそこまでスコープにありません。

また、エージェンシー若しくはコンサルティング会社が向き合っている課題として、根本的に我々外注会社は自らのデータを保有していないという現実があります。よって、ありがちな課題としては①データ構造がクライアント個別にバラバラになり、スケーラブルな設計がしにくい、②そもそもデータにフルでアクセスできない、下手をすればマスキングされるという点にあります。

 

すると下記のような前提条件が出てきます。 

・まずデータをアクセスのしやすさレベル別に棚卸しすること

・オペレーション負担を低減若しくはパフォーマンスに貢献するプロダクトであること

・開発期間、開発資金、リソースは非常に限られていること

 

フレームワーク構築

これは日本でやらせていただいたことに等しいのですが、コンサルティングの定跡として下記のようなステップを踏みました。

①現状のリソース把握(ヒト、モノ、カネ)

ブレインストーミング

③アイディアの1 pager 化

④オプションの優先順位付け

 

①が結構どの企業もできていなくて(特に組織が大きいほど)、まず棚卸し、というところから始まるのが普通かと思います。そういう意味では情報整理ができていなかった我が組織では①から始めたことがとても良かったように思います。

 

さて、②と③ですが、私の過去の業務経験が割と活きました。これが今日の本題です。

 

データサイエンティストが企画者になる

何を隠しましょう私、一年間、コピーライター兼CMプランナー見習いをやらせていただきまして、数々の素晴らしい企画書を拝見してきました。もちろん翁レベルのクリエーターなら、数ページにまたがるかっこいいストーリテリング型のシナリオ企画書もありなのですが、それには相当のスキルと必要条件を要します。(クライアントのニーズ、世の中のトレンド、磨かれきったアイディア、そして何より圧倒的な成功体験に裏打ちされる自信が必要だと思います。)

 

我々データサイエンティストはそもそも企画的なものは苦手なのですが、我々の制約条件が多い以上、クリエーティブのようなアプローチでtechnically feasibleな企画案を10案程度出し、ビジネスチームにその評価・優先順位付けをビジネスの観点からしてもらうというのがベストかと考えました。

 

このアプローチの優秀な点は、ビジネス起点だと死にがちな実現性の部分もある程度担保された上で、たくさんのアイディアから投資すべきものをスケジュールやコスト感も鑑みて、全員で合意できるということです。

 

ここは決定的に広告クリエーティブと異なるところで、広告クリエーティブだと大体の「実現可能範囲」は想像できます。しかしながら、今回のようにスケジュールと予算の制約が厳しく、且つAI/機械学習という超専門領域がコアにある場合、ほとんどのぶっ飛んだアイディアは採用されることが少ないため、むしろ「何ができるか」という観点から始めるほうが良いと考えました。これがデータ・リソースの棚卸しからはじめた理由です。すなわち制約条件を100%クリアにして、可能なアイディアだけを提案するということです。

 

クリエーティブ企画シートの徹底

 さて、そんなぶっ飛んだアイディアを出す必要がないというのは、クリエーターにとって苦痛以外の何者でもないわけですが、企画書の書き方とか企画書のエッセンスは充分に真似できるものだと思います。

 

データサイエンティストはとてもコンサバになりがちで、アイディアとしてのジャンプは時々しにくいものですが、私はチームメイトに下記2つのことだけを伝えました。

・1センテンスで説明でき、面白いと思えるコアアイディアで企画を書くこと

・企画はパワポ1枚若しくは手書き1枚で、10秒で企画概要がわかるようにすること

 

 

多分この2つはクリエーティブ部門や企画部門では徹底されていることと思います。

ただ、データサイエンティストとしてはあまりなれない分野です。最初の企画持ち寄りMTGでは、何人かのチームメイトはWordで情報の整理だけをしてきたりしました。それはただのオリエンであり企画になってないよ、と伝えた後、10枚の人工知能企画を見せました。とにかくできるだけ短い言葉で企画概要が伝わるようにすること、また企画のワクワク感が一瞬で伝わるようにすることを熱心に教えました。

 

もちろんこれ自体はゴミのように見えると思う。しかしながら、この企画書でビジネスサイドと話し合い、企画を磨き上げていくことが重要であり、あくまでスライドは企画の種なのだということ、またリテラシーからくる制約条件が多い分、実は企画しやすいということも伝えました。第二回のMTGはかなり面白いアイディアだらけで超有意義な会議になったと思います。

 

日本人のジェネラリストが活きる道

実はこういうクレイジーなキャリアを歩んでいる欧米人は多くない上、あまり他業種の知見を持ち込むといった発想もないと思います。だからこそ、こういった特殊なアプローチやフレームワークをリーダーシップを持って引っ張れるときっと重宝される気がします。

 

もちろん、最低限のスペシャリストとしての知見やバックグラウンドは持っているべきですが、単領域でどうしても日本人が価値を出すのは難しいかと思います。

 

そんなときは日本のクレイジーな”異動”文化を存分に活かしてみてはどうでしょうか?

 

Google CloudのCloud AutoMLでパラダイムが変わるかも・・・という話

あんまり普段仕事の話を書かないのですが、お仕事ではもっぱらGoogle Cloudをいじり倒しています。

 

ちょっと前までは、割とウェブログ系のデータをいじいじとしながら、時系列予測や、ありがちなCV期待値みたいなものをScikit-learnとかKerasでグリグリモデリングして、成果出して、ヤッターみたいな話が多かったんですが、春から少し新しいデータを触るロールになったので、 もう少し広い範囲のプロダクトをいじったりしていました。

 

広告領域における画像分析活用の課題

画像ラベリングの精度やラベル自体の種類、整理などを既成品及び自社オリジナルそれぞれでバーっと作っては評価し、ということをやっていたのですが、既成品のラベルはどうしてもGeneralすぎて、どうにもクリエーティブの示唆にはならんなぁと困っていたのです。一方で自社オリジナルはオリジナルでかなり仮説を持って作り込まないと、時間食った割にゴミプロダクトができるというジレンマがあったのです。(特にConvolutionalでは、パラメーター設計どうするというのがなかなか匠の技やなぁというのを痛感しました。)

 

EC(特にファッション)みたいに、パフォーマンスのKPIがクリアで、更に解析対象の改善によって、見える形でフィードバックがあるとゴリゴリ作りに行く価値もあるんですけどね。広告の場合メディアインパクトとクリエーティブインパクトをきっぱり分けるのはそんなに単純じゃない上に、コンバージョンまでのタイムラグも長いので、なかなかこの領域にたくさんリソースを割く余力がなかったりします。

 

Cloud AutoMLとは?

で、この夏出たのがCloud AutoML。色々触っている中でも、このツールはBreak Throughだなぁと思ったので、実例と共に簡単に紹介したいと思います。

 

Cloud AutoMLとは何か?

Cloud AutoML - Custom Machine Learning Models  |  AutoML  |  Google Cloud

 

利点・欠点

利点としては間違いなく、Bespokeなラベルを返す人工知能APIを簡単に作ることができるという1点に尽きると思います。Vision APIとの比較でいうと下記。

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AutoML Vision Beginner's guide  |  Cloud AutoML Vision  |  Google Cloud

 

 

一方難点としては、もちろんFrom Scratchで画像とラベルのデータを用意して、AutoMLが求める形でGCS上に配置しなければならないという点です。しかしながら、ラベルあたり100枚の画像があれば、そこそこの精度は出ますので、正直難点らしい難点が見つからないなぁというのが率直なところ。(Googleがいつ課金を始めるかというビジネス的難点はある)

 

 

おもちゃをつくってみた

実はさっきの難点もGoogle Image Searchから画像をスクレイピングしてきて、サーチワードをラベルとして格納するみたいなことをすれば、1日でそこそこいけてる画像認識人工知能が作れてしまいます。(前処理のコードはGithubで公開しています)

 

いくつかガラクタを作ったのですが、その中でもこの前ハッカソンで使ったものを紹介します。

学習データとして、King、Knight, 忍者、侍、jedi(!?)など旧来の「戦士」をTrainのデータとして、実際の予測ではマーベルなどのスーパーヒーローの画像を入れます。

「現在のスーパーヒーローたちは一体旧来のどのような戦士にインスパイアされてデザインされているのか」を人工知能でサクッと一日で答えて見た結果が下記です。

 

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割と昔だと海外ヒーローはナイト系の印象が強かったんですが、忍者インスパイア系(スパイダーマンデッドプール)とかも最近人気出てきてますよね!
 
 

 

パラダイムの変化

AutoMLのようなプロダクトで、より人間は「質問」に時間を割くことができるようになると思います。そして、次世代のデータサイエンティスト、若しくはAIを活用されるビジネスマンに求められる機能って下記のようなタイプなのではないでしょうか。

 

①ガチンコの方々:アルファZeroを作るレベルの方々。新しい技術を作る人。

②コンサルタイプ:複雑怪奇なビジネス課題を既存技術・データで解けるレベルに分解・抽出できる人

③アイディア・実行タイプ:既存技術・データの組み合わせによってクリエイティブな解決策を考え付き、実行できる人

④生産タイプ:既存技術・データの落とし穴や不足領域を見出して、埋めに行く人。(事業を起こして新しいデータを生成するとか)

 

 ①と④はそんなに頭数がいる必要はないので、まともに生きていくなら②、③かなと。そういう意味では、ちゃんと技術を理解するだけではなく、ビジネス課題を理解すること、及び自分の専門外の技術も含めて組み合わせによって独自価値を生み出す胆力がないと難しいのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

書評:the four GAFA

 下記の本を読みました。

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

 

かなり筆者の好き嫌いと解釈論が出ているので、その点はよくも悪くもユニークかと思いました。多分スティーブジョブスが結構嫌い。笑

あとは少し前の本で、翻訳が1年遅れって感じです。あと、Netflixは四騎士候補にも入っていなかったので、その点も少し不満な点かなぁ。

 

下記に四騎士それぞれがどう描かれていたか、サマリーを書いておきます。

1.Amazon

アマゾンの強みというのは、とても低い短期的な収益への期待値を元に安く資本を集めてこれる点にある、というのが骨子でした。すなわちベソスのストーリーテリングで安い資本を得て、スモールスタートの事業をいくつも起こす、それの撤退、追投資をうまくサイクル化していることが、Amazonの強みだというのです。

確かにAmazonは、事業初期の投資会社としての先行戦略事業会社としてのオペレーション効率追求コアコンピタンスである印象が強いです。

 

2.Apple

スマホのマーケットシェアは14.5%だがマーケット利益の8割はAppleが持っていってるそうです。筆者はこのprofitabilityの理由をラグジュアリー性、性的魅力にも通じる商品のポジショニングと帰結していましたが、若干これには首をかしげました。

14.5%はさすがにラグジュアリーに行くには、シェアが大きすぎるし、SEのような廉価版を買う人もAppleファンの中には大勢います。Apple Watchを持っていたところで、ロレックスのように「あ、お金持ちなんだ」「あ、おしゃれなんだ」というシンボルになることもありません。基本的には「あ、テクノロジー好きなんだな」って話しかないのです。

どちらかというと、僕はAppleブランディングNikeに近くなっていると思っていて、ブランドを語るためのストーリーがしっかり語られていることと、そのブランドを通したUI、UXがストーリーと相反しないというとてもシンプルな原理を守っているだけだと感じています。

 書籍内でいくと、小売の直轄経営、職人気質のプロダクトというところは、上記の話似合うと思います。筆者がラグジュアリーを勘違いしている一つとして、ラグジュアリーはみんなの手に渡ってはいけないものだという点を忘れています。全員に普及すれば、それはただのコモディティです。ラグジュアリーブランドはそこを目指してはいません。一方でAppleはコアファンを抱えながらも、すべての人に自分たちのブランドを普及するところをゴールにしているような気がします。

 

3.Google

人々は神になにかを問うことをやめ、Googleに何もかもを聞くようになりました。それは、確かなことだと思います。そして、より理性的な判断をあらゆる局面でするようになったとも思います。

あらゆるニュース、情報サイトがGoogleに飲み込まれ、支配されていく様を、とてもevilな象徴かのようにこの本は描いています。

一方で、Googleという企業から検索エンジンを取ったとき、そこに残っているものはあまりに少ないという一言は目ウロコでした。

 

4.Facebook

どちらかといえば、Googleに対して、より感情的な情報がやり取りされるプラットフォームとして、facebookは取り上げられています。そして、世界最大の個人情報プラットフォームだとも。友達、というネットワークは確かに個人の属性を示すには最高の情報源であり、またモバイル中心である点もfacebookの大きなリードだと思います。

 

問題は、3と4の両社が広告ビジネスを糧にしており、その個人情報利用には将来的に制限がかかるであろうと指摘されていました。一方でその制限はこの二社以外の企業にとってはとてつもない負担で、より二社のプレゼンスが増していくだろうということも。

 

最後にこの本に書かれていた覇権の8遺伝子を書いて終わりにします。

このうち、3と8は、中国を始めとした異質市場のせいで少し崩れつつある気がします。

また、6はAIというよりも芳醇で有用なデータを意味すると思っていて、2と6の仕組みこそが勝者により富を集中させる強いサイクルを生み出したのだと感じています。

  1. 商品の差別化
  2. ビジョンへの投資
  3. 世界展開
  4. 好感度
  5. 垂直統合
  6. AI
  7. キャリアの箔付けになる
  8. 地の利

データサイエンティスト給与論

友達がシェアしてたのを見て、ちょっと思うところがあり、こっそり書いてみた。3月の記事だから結構今更だろうか。
今データサイエンティストを目指してる人の7割が5年後に年収350万にしかなれない - データエンジニアの日記

上記記事の論旨を説明すると、今後データサイエンティスト人材にも昔のIT業界と同じようなことが起こり、人材紹介会社がデータサイエンティストの名の下に低スキル人材を売り払った結果、低単価で扱われるデータサイエンティストが増えるので、ちゃんと機械学習の深いスキルを身に着けておくか、広範囲のバリューが出せるスキルがないと食っていけなくなるというものだった。

ブログの作者の方とは面識もないし、今から批判するからというわけでもないが、他の記事の内容はミスリードを意図的に起こそうというものも含めて、とても切れ味が鋭くて好きだなぁと思いました。RSSフィード(今やオサーンのツールか)に加えさせていただきました。

賛成できる点としては、現在のデータサイエンティストがビッグデータの文脈とともに見せかけの需給バブルが起きていて、供給も需要も著しい質の低下が見られるという事象について。要するに、曖昧若しくは間抜けなデータサイエンティスト募集と低スキルのデータサイエンティスト(笑)人材が爆発的に増えて、妥協のもとにマッチングし始めてるってことでしょう。

それについてはもう仰る通り。というか英国で採用をかけた際、もっと酷いデータサイエンティスト詐欺にあっていた。データサイエンティストのジョブタイトルで、「pythonは今学習中」とか「統計モデリングはやったが、機械学習は勉強中」とかザラ。「AccuracyとRecallとPrecisionの定義を説明してください」というクソみたいな質問すらクリア出来ない人が多い。極端に偏ったサンプル数のClassificationみたいなビジネス・ケースの質問まで進まない。俺の英語の発音が悪いのかと思って、一度紙に書いて、ホワイトボードで説明してもらったけどそれでもちゃんと答えられるのは2人に1人くらい。職務要件で明確に「ROCカーブ読める人」って書いたろうかと思ったくらい。あとはConvolution、Recurrent Network、LSTMについて大枠を理解してるかとかBays DDみたいな話に興味を持ってくれているかとかを見て、データサイエンス力を測っている。こんなベーシックなものでも、ちゃんとした人を見つけるのはとても難しい。勿論一部のリーディングカンパニーはめちゃ簡単に採用できるのかもしれんが。


ただし、私見として、エントリの下記部分は完全に同意しかねている。

大学初等の数学もできない。確率統計も入門書1冊読んだ程度。TensolFlowやscikit-learnでモデル組めました、程度のノリでデータサイエンティストにでもなろうもんなら、どういう未来が待ってるかはお察しの通り。

週に10時間以上かけて数学と統計と機械学習の基礎的な学習を継続して本や論文の数式からプログラム起こせるレベルになって、かつ高度なスキルを証明できるような成果物や実績を作る


そもそも給与は需要と供給のバランスで決まるのであって、PoCが一段落して焼け野原になった日本市場で、一体何社が「本や論文の数式から起こされたプログラム」に飲ませるだけの「適切なクリーンで十分なデータ」を持ち、「そのアウトプットを活用する業務プロセス」を設計できるのだろうか。何が言いたいかというと、機械学習の最先端論文を潜って給料が上がっていくトレンドはあまり期待できないという話。そもそも、機械学習、データ系の論文は多すぎて、全部を追うことはとてもじゃないが出来ない。
ただでさえ、機械学習アルゴリズムコモディティ化しており、インタフェースもモジュールも増えてきた。Numpyでフロムスクラッチで実装しました!ドヤされても、TFで実装してもらったほうがこちらとしては速い安いうまいでありがたい。(でもディープラーニングNumpy実装はまじで勉強になるので一度やったほうがいい)加えて、既製ライブラリに比べてその高レベルな方々が作るフロムスクラッチのコードがどの程度ハイパフォーマンスなのかは見ものである。Spark系のライブラリは僕も触ったことないので、もしかするとフロムスクラッチコーディングなのかもしれないが、知らないので何とも言えない。加えて、たとえ、素晴らしい物ができたとして、それはGithubにあげてください、でなければ誰かがもっとええのあげます。という潮流なわけで。。。論文で使われたアルゴも結構な割合でGithubあがってたりする。(それパクりまくってるのは内緒な!)

もっと言うと、TensorflowとScikitlearnのポテンシャルをちゃんと限界まで引き出せる人だったらむしろ喉から手が出るほど欲しいんだが。僕なんかKeras使っちゃってるくらい情弱だし。

勿論、Googleに買収されたDeep Mind社みたいなところが採用する人間は、最新の論文を読み漁ってるんだろう。インフラ面はGoogleの馬鹿力インフラと超優秀なインフラエンジニアに支えられて、恐らくAlphaGoのような人類史を揺るがすようなAIができるのだろうが、あれは人類史でいう、アポロ計画みたいなもんである。他多くの会社、及びGoogleの中でさえ、大多数は恐らくシャトルを月に飛ばすことよりも大量の顧客を載せた飛行機を日本からアメリカに飛ばせばいいかみたいなチャレンジをしているはず。それはいわゆる多少コモディティ化した技術をビジネス活用することであって、もっと人を載せて飛べる飛行機の開発だったり、効率的な飛行機の飛ばし方みたいなことなんじゃないだろうか。シャトルの先端技術をわかっている必要はない。
ただ、ど勘違いしている経営クラスのおっさんの中にはなぜか自社に飛行機のパーツすらないのにアポロ計画シャトルのエンジンが作りたいみたいな話をする。大丈夫、おっさんの会社にはあと30年くらいいらないからな!加えて、人的コストがAIによって大きく削減されるみたいな夢物語を語る。おっさん、コンサルティング会社×RPAから始めてみよう、な。データサイエンティスト雇ってる場合じゃないよ。
あと、個人的にはそもそも飛行機を飛ばす話をしているのに、若手データサイエンティストに「アポロ計画に使われてた技術の論文見たっすけど、このエンジン詰めませんか?」って言われたらよっぽどRelevantじゃない限り「Intersting」と返して放置するわ。
そもそもの諸悪の根源は全く目標感も課題感もない中(月に行きたいとかない)、アポロアポロとつぶやくAI・ビッグデータブームにあるわけだが。

最近の潮流を見ていて思うのは、博士経歴を持つデータサイエンティストの方々からすると、似非データサイエンティストが増えたことによりとんでもないタスクを背負わされることが多くなった若しくは多くなるのではという危惧や危機感が強いのだと思う。「これだから日本のデータサイエンスは伸びない」と不満をこぼされるのも当然と思う。しかし、私も広告代理店というそもそも技術サイドのバックグラウンドはどうしても弱いデータサイエンティストなので、技術のことを何もわかっていないと言われても仕方ないし、ある意味データサイエンティストの役割をいい意味でも悪い意味でも曖昧にしてきてしまったと思っている。

ただ、一言言いたいのは、データサイエンティストが職務タイトルとして定義されるというのはビジネス課題をデータサイエンスで解決するからであって、専門知識を持っているからではないということだ。そして、そのビジネス課題をデータサイエンスで解決するためには、必ずしもデータサイエンスだけでなく、他の部分(ある意味でのリーダーシップやビジネススキル)が変数として効いてくることが頻繁にある。多分僕がデータサイエンスだけを専門として他のSoWは何も受け付けなかったら、日本ではもちろん、英国でもバリューはほとんど出なかっただろう。このジョブタイトルでグーグルアナリティクスのタグ実装とかデータ設計やったり、DMPのルール設定しこしこやったり、CRMツールの設定しこしこやって管理画面見たり、もっと言えば、買収した海外ツールの導入で営業がクソみたいな要件定義ていうか要件定義と呼ばない謎のメモを持ってくるからこっちでフォーマット作って導入プロセス標準化したり、いろんなことをやってきた。その経験が、時に自分のしょっぱいかもしれないデータサイエンス力をビジネス課題解決力のてことして最大限に高めるときがある。だから不用意に職務領域を狭めるのもまぁ自分の首を締めるのではと思った次第。

結局、原点に戻ると、自分の手持ちのスキルによって、誰かが喜ぶ成果物や成果自体が導けるかということであって、その積み重ねが長期的な給与水準を支えるのだと思う。データサイエンティストだから儲かるということではなく。そもそも士業じゃないんだし、ジョブタイトルに給与水準を期待すること自体が、昔のマッキンゼーのミスリードにみんながおぼれてるよね。

人に喜んでもらうための手持ちスキルを常に磨き、仕入れ、使ってみることが本質的なんじゃないだろうか。勿論そこに戦略性や本人の適性のファクターも必要だけど、まぁそれは自己分析・業界分析してください。特にフリーランスになっていく人が多いこの世の中、キャリアデザインってそういうことでしょう、と切に思っております。

リー・クアンユー、世界を語る

シンガポール建国の父、リー・クアンユーのインタビュー本を読んだ。
リー・クアンユー - Wikipedia

リー・クアンユー、世界を語る 完全版

リー・クアンユー、世界を語る 完全版


彼はシンガポールの建国を、独裁的に進めた人間として知られる。リベラル、民主主義をよしとするアメリカにおいても彼の評価はとても高い。彼の強みはポリティカル・コレクトネスに屈することなく、本質的なビジョンの提示とそれを実現するのにクリティカルな要素を政治として実行してきたことにあると思う。英語の公用語化はその最たるものではなかろうか。そして、彼は絶妙なバランスで、英語と中国語のどちらを学ぶか国民に選ばせる形で、公用語をシフトさせていった。

本書の構成は中国、アメリカ、インド、イスラムなどに対するリー・クアンユーのインタビューをまとめたものであるが、個人的にまとめなおすとすれば下記のような論点があったと思われる。

・民主主義vs独裁主義
自由主義vs管理主義
・教育(言語と議論の大切さ)
大きな政府vs小さな政府

リー・クアンユーアメリカに対するリスペクトは相当のものがある。アメリカが彼の独裁を批判する第一国であったにもかかわらずだ。彼は、アメリカの治安や自由主義がいきすぎたところによる政治の腐敗について指摘をしていた。アメリカの大統領選は明らかに国益を高めるものになっていないし、今や政治家のマニフェストよりも私生活や共感性が取り上げられ、メディア戦略の戦いになってしまっている。すなわち、個人の自由を最大限保障したアメリカのdiciplineについていける人間はそんなに多くないということだ。

一方で、アメリカの優位性は今後10年は覆らない、何故なら今後もアメリカを中心にエリートが輩出され、彼らが世界でのリードを取っていく。それを支えるのは強い自己責任の意識と、Diversityによる議論を歓迎する文化と、アントレプレナーシップを奨励する(ゼロから作り上げる)価値観である。そしてこの3つを強く支えているのは、英語という多民族を結びつける共通言語にほかならない。中国もこれから間違いなく台頭していくであろうが、アメリカの4倍の人口がありながら、現在の位置に甘んじているのは上記の三要素が欠けているからだとリーは結んでいる。

同時にそのような土壌が整っていない国で自由主義をすれば、エリートではなく下層に国民全体の平均レベルが引っ張られていることになっていく。いつの世の中も愚民は怠惰なものだ。求めることは一人前だが、その生産性はゼロに等しい。リーがその本質を見越して、管理政治を強く導入したことがシンガポールの礎になっている。同時に独裁主義にもかかわらずむやみな愛国心を煽ることなく、一歩引いた客観的な愛国心を国民に求めたことからも、彼がアメリカへの憧れを強く持っていたことがわかる。

加えて、彼の技術に対する解釈は今でも示唆に富む。彼はこの十年で大きく変わったものは技術やインターネットの台頭であり、これを軸にすべてのソフトスキルを変えていく必要があると述べている。また、技術の発達とともにインフラの充実が整うものの、まだインドと中国のインフラの差は歴然たるものであることも本著で指摘されている。

現在のグローバル情勢と比べても全く遅れていることはない名著だと思うので、是非読んでみてほしいと思う。

注:アメリカ内で議論は歓迎されるものの、その外すなわち格下に見ている海外諸国に対してはConsistencyの名の下にただDiciplineに沿って動けという文化だと感じることも多い。その最たるものが現在の大統領にあらわれているのではないか。

先進国の息苦しさは解決すべき一つの問題ではないか

最近、日本のニュースを見ていると、ジェンダー論やLGBTに関する議論がものすごく話題になっているなぁと感じた。確かにこの議論において、日本は欧米諸国に比べてその議論の深さも議論からのアクションもビハインドであるということは何となく感じるところがある。

ただ、それを「LGBT後進国」と言っている人にはものすごく違和感を感じている。それこそ、欧米諸国をスタンダードとしたときの後進国という言い方であって、全世界にある全ての国を集めて、LGBTに対する意識を平均化した数値で表したときに本当に日本が後進国なのかは甚だ疑問。加えて、全世界的に見れば日本はそんな議論が出ること自体、先進国だと思うのだ。要するにとても豊かな国なんだと僕は思っている。

「Diversityは素晴らしい」というMajorityのもとに、Minorityを認めようとするのが今の欧米的世論なんだと僕は思っている。そこに大いなる矛盾を感じなくもないが、この「Diversityが素晴らしい」というのはみんなが優しくて、みんなが余裕のある前提で生まれる価値観なのだと思っている。人は余裕がなければ社会的生物としてよりも自然的生物の側面が強くなると思っている。即ち暴力的になるし、利己的になるし(社会的に振る舞っているようでも遺伝子的な自然淘汰のルールによって社会的に振る舞う遺伝子が残るのであって、遺伝子はあくまで利己的だと僕は思っている。詳しくは下記。)、社会的でなくなると思っている。

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

即ち、ここ数十年でいわゆる日本が遅れていると言われているようなトピックは、すべてまだ個人に余裕や余力がある前提で話されている議論だと思う。もっと端的に言えば、人間が社会的生物として、一見自然的生物であれば行わないような意思決定や環境形成を行うことだと思っている。

例えば温暖化が超進んで、資源に限りが出てきて、一切の火力発電による発電を切らなければ、南極と北極の氷が溶けて、みんな死にます。という自体に陥ったときに、誰がプライバシーを気にするのか。GDPR?知らねぇよ、糞でも食らってろである。

僕は時々、先進国の社会にそういう「議論が発展しすぎたゆえに生まれる息苦しさ」を感じることがある。何かを発言すれば、Minorityが傷つくからそのような発言は控えるべきであると言われ、Minorityの盾のもとで守られる変な発言もある。

そして、先進国諸国がこれらの議論を深めていても、後進国では明日生き延びるのに必死な人が、もっと自然的生物としての社会を形成していて、そちらのほうが、時々居心地よく見えてしまうときが、正直言ってあるのだ。

僕はこの議論に関して結論が出ているわけではないし、先進国で暮らすことをやめられない人間だろうが、違和感を持って、議論を眺めている人は相当数いるのではないだろうかと思う。