足ることを知らず

Data Science, global business, management and MBA

Input needs Output

最近は他のエントリの感想とかが多かったのでたまには持論を。

本来、Input(知る)プロセスというのはOutput(伝える)プロセスのためにあるものだ。
しかしながら、InputのためのOutputの重要性を最近物凄く感じる。例えば暗記するときに声に出したり、実際に書きとったりする人は少なくないと思う。整理できないことを話しているうちに頭の中がすっきりすることも多いと思う。

これはヒトの情報伝達バリューチェーンがInput→Outputだけではないからである。少なくとも3つに増やしたInput→Understand→Outputというプロセスで最短だ。何が言いたいかというとInput→Outputでは全くもって意味がない。伝達媒体としての「ヒト」の価値を持たない。コンピューターと一緒なのである。これだとまるでInputはOutputのためにあるという論を更に後ろ盾する様な話になってしまうけど、実はこのUnderstandがOutputをはさむことによって価値創造されることになる。日本語でいうと知る→わかる→伝えるというプロセスが知る→わかる→伝える→足りないものを知る→もっとわかる→伝えるへと進化するのである。自分の持っていない情報と自分の持っている情報を化学反応させるには「伝える」プロセスを通すほかない。

英単語の暗記は自分の中だけで完結している話のようにも思えるが、あれが覚えやすいのはOutputすることによって、一回情報が自分の外に出ることが大きな功利となっている。もう一回形を変えて客観的に自分の書いた字なり出した音を「知る」のだ。知る形が変わっているのだから、化学反応は十分に起きている。

この深みのあるプロセスが無意識下で高速に繰り返されると「ひらめき」となる。だからひらめきは時間的に余裕がないと起こらない。決してストレスのせいではない。Output for Inputが差し込まれないのだ。時間に余裕のない時、人は情報を左から右に受け流すことが多い。頑張って知る→わかる→伝えるというレベル。ループをその間に入れる余裕はないのだ。

そうすると、考えの成果は「ありきたり」になる。例えば一回だけ調味料を入れることを許された料理と何回も調味料を入れられた料理を食べ比べればうまいかうまくないかは別として独創性の点で後者に及ぶまい。

Inputは常にOutputを欲している。そして、より良いOutputで自らもまたより良く進化していくのである。