足ることを知らず

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会社の透明性

最近、企業行動の透明性についてよく耳にすることが多い。
いまいちピンと来ないのは「開かれた企業経営」とか「透明な企業行動」が具体的にどう企業経営にプラスなのかということがあまり明確でないということである。


「透明」であるというのは日本語ならではの表現で、英語ではきっとopenな経営ということになるのかもしれない。即ち、「他社・社外から理解しがたい経営はしません」というcommitmentなのかもしれない。これは上場会社としては、株主の理解と信頼を得るためには必須の要素である。

ただ、僕は来年から働く人間として一つ、「透明性」の効果を明確にしたい。それは「正しいことがまかり通る会社にする」ということである。「正しいこと」の定義がうんぬんかんぬんという方は「論理的に正しいこと」「社外にとっても意味が通じること」と読み下して頂ければ構わない。そこでもめることはこの文章の本意ではない。

これまで、慣習・歴史に縛られてきた企業(特にマスコミに多いように感じる)は「正しいこと」が通らない世界であったように感じる。ブラックであったり「何となく」であったり、必ずしも「納得」を常に生み出す会社は少なかった。

これは新入社員の質にも問題がある。体育会系というのは確かに根性が鍛えられ、与えられた責務を完璧にこなす、向上心の強い人間の集まりかもしれないが、基本的に上から落とされた指令に疑問を抱かない。だから、間違ったことを正しくするバイアスの役割を果たしてしまう。

正しいことが通る会社にすることは本当に難しい。それは正しいの定義が人によって曖昧ということもあるし、上層部と現場の時間の流れ方に差異が存在し、以前正しかったことが陳腐化するのにタイムラグがあるからだ。

透明な会社経営は結構だけども、それは株主のためだけではない。自社に関しても同じことが言えるのではないか。