足ることを知らず

Data Science, global business, management and MBA

上部構造と下部構造

mb101boldさんのエントリ。
こういうことだと思うんですけどね: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

ちょこちょこ読んでいるけど、広告業界に疎いけどこれから広告業界に勤める自分にとっては、このように本質的なことを実例を交えながらわかりやすく紹介して頂けるblogは本当に有難い。

中でもこのエントリはとても共感出来たので書こうと思います。

私は、ネット広告のこれからは、こういう小さなテキスト広告の質が高まっていかなければ未来はないだろう、と思っています。このブログでも何度か書いていますが、こういう「ネット広告の路地裏」の質的な向上こそが、ネット広告のこれからの本質的な部分だろうと思います。なぜなら、こういうバナー広告が、ネット広告における「純広」だからです。

思想家のマクルーハンという人は「メディアはメッセージである」と言いました。その是非や妥当性については、いろいろとあるでしょうが、その言葉に忠実になって感受するところのネットメディアが許容する広告というのは、きっとこうした小さな広告のような気がします。これからテクノロジーがどんどん進化しても、ネット広告では、現在のテレビCMのような大きな広告は主流にはならない気が、私にはします。

 あくまで広告表現技術としては、なんとなく「谷村美月 ここです。」というコピーが示す方向性にあるだろうと思いますし、こうした予感に立つとき、もうひとつの思想家の言葉が浮かんできます。マルクスの「上部構造は下部構造が規定する」ですね。もしこういう未来が来たとき、専業のコピーライターというのは、存立できなくなるんだろうな、ということ。もちろん、マス広告はなくならないとは思うし、その部分との関連作業として、きちんと仕事として成り立ってはいくだろうけれど、ネット広告だけでは、やはり難しいだろうな、と。


僕がコピーライターとして活躍する可能性は著しく低いかもしれませんが、これを読んでいると

結局広告というのは「考えをシンプルにして、メッセージとして伝える」ことに集約されている気がしていて
上部構造と下部構造がどのような意味で使われているかはよくわからなかった(自分の読解力の無さで)のですが
広告の本質としてまず「コピー」のようにメッセージを素直に伝える方法があって、その伝える媒体として、単純且つ純広となっているネット広告が存在しているわけです。

媒体によってコピーも変化するだろうけれども、メッセージに関しては、媒体を複数使うことが今求められています。
よって「ここでしかコピーが書けない」という人間はなかなか難しいということなのでしょうか。


個人的な話、ネット広告のコピーではもっと顔文字とか入れていい気がします。
世界では珍しい横読みの顔文字なので。