足ることを知らず

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criticは意思決定出来ない。

ひろゆきのblogで、

「文句ばっかり言ってるのは子供の限界で、
文句を言われてても何かを組み立てるのが
大人の役割だとすると、
人の足を引っ張るだけで、
自分が何かをした気になってる大人が増えてる気がする今日このごろです。」


っていうのがあって、凄く気になったから書きます。


ここでいう文句っていうのは生産的でない「批評」のことを指していると考えられます。
確かに、ニュースを見てもこのような「批評家」は多い。

金融日記の藤沢Kazuも似たようなことを書いていたような気ガス。

国会答弁を見ているとあまりに「組み立て」の作業が行われないことがわかります。
ほとんど「批評→言い訳→運がよければ妥協・悪ければ終了」
というような感じ。

まぁそもそも「議論」っていうのは何も考えてないと意見の押しつけあいになりがちなので、自分の意見を通すために「批評」の嵐になりがちですが。

ただ、国のトップとしてelectionを勝ち抜いた人たちがあの状況ではどうしようもない。
そしてそれを「批判」のみするテレビとニュース。

そしてそれを「批判」する俺とかblog

ひろゆきの言っていることは正しいと思うのですよ。



少しでも生産的なことを言わせてもらえば、政党政治の限界がある気がした。
例えば会社において政党政治のような形式をとったら、その会社は展開の早いグローバル社会において取り残されていくばかりでしょう。
政党政治は確かに権力の分散が行われ、ファシズムのような危険な状態を避ける手段として有効だとは思うが意思決定の方策としては余りに遅いとしか言い様がない。
野党の権限を減らすべき、若しくは民間で政治監査をしてファシズムを防ぐしかない。

別に意思決定が間違っていてもいいと思うんだ。それをフォローできる速さがあれば。

間違った意志決定が怖くて、意志決定出来ていない状態よりは。


mixiの方では、党内派閥、両院制など様々な意思決定権限の分散が複雑に入り乱れているという指摘があり、正にその通りだと感じました。