足ることを知らず

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トランスジェンダーの議論で、ダイバーシティの本質を考える。

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大学、アカデミアにおいて、今トランスジェンダーを批判するsex-criticalなフェミニスト言葉狩りにあっているようだ。

 

この議論、正直日本からすると3週くらい進んで、逆に後ろにすら見えてしまう議論なので、恐らく日本のメディアがきっちりと報じてくれることはないだろう。

 

トランスジェンダー選手が東京五輪代表に、五輪出場は史上初 「不公平」と物議も - BBCニュース

トランスジェンダーのオリンピック選手が話題になっている。そもそも彼女の参加を女性部門で許した場合、ほぼ今の競技区分は「男性」「トランスジェンダー」と同義になってしまうのではないか?(トランスジェンダーの人間と女性には大きな身体的能力の差があるという前提)というコメントがTwitterFacebookで多く散見された。

 

記事内で出てきていたのは、例えば女性の更衣室にトランスジェンダーの女性が入ってくることを、女性は危険だと思ったり、不快だと思ったとする。それが差別なのかどうか、ということだ。これはダイバーシティの議論の大きな課題を映し出していると思う。

 

ダイバーシティの議論は、争いを繰り返してきた人類の理想だ。だからこそ、理想論でもある。「ほかに危急の課題がない限り」その理想を実現しようとするものなのだと思う。勿論、ダイバーシティの尊重以上の危急の課題などあるのか?という議論もあると思うが。

 

この理想論の一番大きな問題点は、制約条件に関するものだ。例えば、多くのMBAのクラスではDiversityが尊重され、クラスの構成メンバーはできるだけ多様なバックグラウンドを持つようにデザインされる。しかしながら、その多様性を担保するための属性が、あまりに多かった場合、本当に「多様性の担保」などできるのだろうか?人種、出身地、経済レベル、マイノリティ性など様々な属性があるが、少なくともMBAは経済レベルでの貧困層は見事に切り捨てている。中間層も厳しいか。すなわち、どれだけアドバンストな「Diversity」の議論でも、現実の制約条件(例えば、この場合はクラス人数)がある限り、Diversityはいずれ、マイノリティ同士のベネフィットを争うトレードオフの議論になってしまう可能性がある。

 

そんなことを考えているうちにこのトランスジェンダーのニュースを見た。このニュースがもう一つはらんでいる問題は、ソーシャルネットワークの時代にMetooやその他の運動もそうだが、アメリカナイズされた思想や運動が、簡単に他国に持ち込まれることになったことだろう。これはともするとアメリカの価値観が「先進的で」「優れている」と簡単に思いがちだが、そうとも限らない。

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この文章ではアメリカの政治的イデオロギーがまるでマクドナルドやハリウッド映画のように輸出されていることを指摘している。その結果、特にその社会問題がクリティカルではない国で、とにかく運動をしたいだけの人間を扇動する結果となった。

Consider the Black Lives Matter (blm) protests which erupted in America in 2020. They inspired local versions everywhere from South Korea, where there are very few people of African descent, to Nigeria, where there are very few people who are not.   In Britain, where the police typically do not carry firearms, one protester held aloft a sign that read, “demilitarise the police”. In Hungary, where Africans make up less than 0.1% of the population, a local council tried to install a work of art in support of the blm movement, only to earn a rebuke from the prime minister’s office. Last year the Hungarian government released a video declaring, “All lives matter.”

 例えば、黒人がほとんどを占めるナイジェリアでBLMの運動が活発化した。

警察の拳銃携帯が許されていないイギリスで「警察を非武装化せよ」という看板で運動する人間がいた。

 

などなど枚挙にいとまがない。

 

今後ダイバーシティの議論をするうえでは、Inclusiveな姿勢と他者へのリスペクトと理解を忘れない上で、その制約条件を考え、建設的に議論をしていく必要がある。そうでなければ、いずれコロナ禍よりも被害が大きいイベントにより、社会が不安定になったときに、すべてのダイバーシティに関する議論は霧となってしまう可能性を否定できない。