足ることを知らず

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ホリエモンの「ゼロ」を読んだ。

ホリエモンの「ゼロ」を読んだ。
ちなみに2時間かからず読める。


結論から言うと、自分にとってはすごくモチベーションにつながった。ちなみに、内容としては、あまり新しいことはない、というか、とても当たり前のことが書いてある。

でも、きっとそこにある価値は堀江貴文という人が、虚勢や見栄を全て捨てて、改めて自分に向き合っている点なのだと思う。

合理的な人、じゃないのかも。

そりゃ、一般人からしたら圧倒的に合理的な人だと思う。
でも、堀江さんには自分で言うとおり「不器用なところ」がある。それは、「やらなくてもいいこと」をやってしまうことだったり、「やるべきこと」をやらないことだ。

即ち、「ネクタイをしない」ところだったり、「死について考えてしまう」ところというのは、すごく共感出来る。

理解は出来るのだが、納得出来ないことが世の中には山ほどある。この差はきっと感情が生むものだ。

特に、「死ぬこと」について、私は理解できるが、一生納得出来る気がしない。堀江さんと同じように、数年に一回位、発狂しそうになる時がある。それは小学校から、今まで、ずっと続いている。(特に中学校は酷かった。そして、例に漏れず、暇だった。)

ただ、私が死について考えを巡らせても、どうにもならない。どうしようもない。だったら、最初から考えないほうがいい。それが、合理的な人間の考え方である。

そして、こんなことを考えてしまうのは、考えることのプライオリティにおいて、死よりも上位の思考対象がない、ということである。要するに暇だということだ。

解決しない問題に対して、考えを巡らせてしまうのは、合理的でないのと、暇であるという二点に尽きる。

合理的であれ、とは言わなかった。

この本のメッセージは、「合理的であれ」ということではない。むしろ後者の「暇になるな」ということである。

本著で何回も「没頭する」という表現が使われている。
きっと、人間にとって一番幸せなことは
「時間を忘れ、何かに没頭出来ること」だ。

昔、こんな言葉を聞いたことがある。
「世界で一番残酷なことはそこそこの知能を持つ生物にそこそこの寿命を与えることだ」
人間以外に、未来の死を恐怖する生物はいない。
正確には、全ての生物が生きるために生きているが、人間だけは、死を向いて生きることが出来る。決してそんな人生は幸せじゃないと思うけど。

だから、没頭できること=時間・死を忘れることはすごく幸せなことなのだ。

で、没頭できれば、なんでもいいかと言うと、そうではない。ギャンブルに没頭する人生は幸せだが、有意義ではない。そう、没頭する対象が、他人にとって価値になることがもう一つ大切な要素だ。

「はたらく」とは。

堀江さんが文中を通して言う「仕事」や「働く」の定義は、自己と他人にとって価値の高いことに時間を忘れて没頭することなのだと思う。

だから、単純に「お金のためにいやなことを我慢する」ことだったり、「仕方なく深夜まで残ること」は堀江さんにとって、仕事ではないと言う。というか誰にとっても仕事ではないと思う。

勿論、自己の価値観を柔軟に持つことも大切だ。嫌な仕事も楽しめるということ。それは、自己の価値観と、他者の価値観のあいだにある折衷価値観の方向へ進むということだ。であれば、自己の価値観は柔らかく変えられた方がいい。それが、一般に言う「素直」ということだと思う。


少なくとも、私にとってはすごく刺激になる本だった。
途中、「え、ちょっと熱すぎない?」「若干、自己啓発セミナーだな」みたいな照れくさい表現も散見されるが、きっと堀江さんの気持ちが乗っている証拠だと思う。

何より、書籍を読んだだけで、こんなに共感出来たことは過去にない。それは堀江さんの人生のファクトだけでなく、その際に感じたことや考えたことが鮮やかに描かれているからだと思う。

もう一度、働くことを見つめなおすために、すごくいい本だった。社会人2〜5年目で、マンネリを感じはじめたら、是非読んだほうがいいと思う。